2009年1月14日水曜日

み旨という意味

唯物的になってしまった我々人間は、仕組み作りに多くの精神力を注いできた。ビジネスに関わっていれば、仕組み作りを創造してきたと言ってもいい。製造の仕組み作り、利益を出す為の仕組み作り、売上を上げる為の仕組み作り、組織構成の仕組み作り、人材育成の仕組み作り。組み立てられると、今度は組み立てられたものに自分を押し込むことに精神力を注ぐ。自らの創造性を発揮できない者は殆どの精神力をここに注ぐ。自分に合うとか合わないとか言ってられない。今日、この人間社会は生きる為の仕組みが隅々まで出来上がっている為、そこに自分を組み込めないとするならそれは社会的死を意味する。今の仕組みの根本的問題は、有機的な仕組みとなっていないことにある。社会生活に於いて会社を始め何らかの組織の一部としての役割を一人一人がする訳だが、表面上は歯車の役目をしているようでも組織の目的を自分の願いや理想と捉える事が出来ない。或いはハナから歯車以上の関わりを与えずに、それぞれの機械的役目だけに専念させる。有機的な仕組みとなっていないため、有機的な働きが出来ない。我々の組織に於いても同じような事が言える。組織の理想と願いが自分の理想と願いだと言い切れるまで、共有しようとする意思を誰もが持つべきであり、それぞれが個性に合わせて最も貢献できるように、周りもそのように指導し本人もそれを捜し求めていく必要がある。み旨として歩む意味は、この世の仕組みに入り込むのと根本的に違う。御父様の願いが根底にあり御父様の愛と神霊がそのみ旨に関わっている、即ち神様の愛と神霊が最初から最後まで関わっていると言う、この意味をよくよく熟考する必要がある。私は魚関係を経てレストランに従事しているけれど、この世のレストラン業に従事する者の内的在り様と自分のそれとは全く違うと言う事ができる。何も解らずに歩み始めたけれど、御父様の願いが何処にあるかをいつも尋ねながら業務に内的にも外的にも投入することで、どうしてみ旨としてこれを望まれたかが見えてくる。周りの責任者が理解の及ばない、レストランを歩んだ者しか見えないものがある。それを説明出来るならそれに越した事はないのだけれど、霊的なものが見えてくるとしか説明のしようがない。別にレストランに拘らず、み旨として御父様が指示された全ての業務に、そこでしか見出せない内的霊的な深い事柄を悟る事ができるはずだ。そういった神秘内容霊的内容を多かれ少なかれ得ていることを踏まえて、責任者はそれぞれのみ旨を担当する者に接するべきだ。責任者の独断がどれほど霊的な発芽を踏みつけ、実りとして育てることを破棄してきた事か。仕組みの頑丈さから言えばこの世のものと比べると心もとないが、この世の仕組みに組み入れられて見えてくるものは知れている。しかし、背後にあるものが天と繋がっている為、入り込めば入りこむほどに御父母様の願いと理想の輪郭がはっきり見えてくる。

2 件のコメント:

tonkimitoshi さんのコメント...

アージュ。

hanamizuki さんのコメント...

責任者を責めたつもりは無かったのですが、、、。自分こそ責められるべき責任者のひとりです。