2010年5月6日木曜日

今日の想い 169

地方都市の駅からほど近い所にある妻の実家だが、裏にはせせり立つ山が迫り、玄関から見渡す風景とは大きな違いを見せる。義母の話だと猿もよく出てきて作物を荒らしたりするようだが、朝方は山の鶯が見事な艶のある鳴き声を一帯に響かせ、朝の凛とした空気を直接内面に届けてくれる。アメリカにも鶯は啼くが、その張りと艶は明らかに劣る。日本で採れる作物がアメリカに比べて甘く美味しい様に、全ての万物にも日本なりの洗練されたものが吹きこまれている。日本の麗しい山紫水明は日本を形作り治める霊的存在によるのであり、その霊的息吹を心地よい風を受けながら感じることができる。その中にどっぷりつかりながら日本民族は民族形成を為してきた。日本を離れて生活することで、日本の恵まれた背景を理解すると同時に、恵まれたが故に堕落的なものをも曖昧さの中で許してきた事実も見える。風土がそこで生活する者の気質全てを決めている訳ではないが、風土と気質の関係性は大きい。久しぶりに日本の環境に身を預けて、自分の中に流れている日本的堕落的な血の霊的本質をひとつひとつ紐解きながら、それに寄り掛かって同和したい誘惑を分別し、真の父母から流れるものを主体にしながらそれらの霊的本質を産みかえていってこそ、日本を治めてきた霊的存在を超えることができる。真の父母に繋がる者達が神道に流れるものを超えない限り、日本は御父様の願いに応える母の国にはなれない。有名な白山道のブログに息づくものを超える何かを日本食口は持たなければならない。自分にそれが無いと認めるなら、御父様が何者かを本当の意味で理解してはいないかも知れないし、少なくともみ言の力を備えてはいない。日本の水を得て見せる内的安堵を妻に見ながら、そんなことを思わされた。

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