2010年5月7日金曜日

妻の実家での出来事

妻の実家についた次の朝、象徴的とも言えるハプニングが起こった。義弟の嫁さんが働きに出る義弟を駅まで送る為に玄関を出たのち、暫くして義父を大声で呼びながら家の中に飛び込んできた。その時私は妻と遅い朝食を戴きながら義母と話していたが、嫁さんが義父を玄関先に追いやったあと驚きを隠せない様子で早口に説明した。どうやら蛇がでたらしい。タイヤのゴムチューブでも束ねて置いてあるのかと思ってよく見ると、黒い蛇が何かを取り込みぐるぐる巻きにして絞めてる最中だった。どうして玄関先に束ねたゴムチューブを投げているのかと手を出そうとした時正体がわかって飛び上がってしまったようだ。誰が出くわしてもこの状況は驚くだろう。暫くして帰ってきた義父が玄関先から何処か遠くに追いやり、その為に時間を要したのだろうと思っていたが、義父の口から始末したという言葉が出てきて皆を再度驚かせた。羽交い絞めしていた20センチもあるトカゲは逃げて行ったが、蛇は頭を砕いて始末したらしい。義母がそこまでしなくてもと口を挟んだが、義父は蛇は後追いするから始末すべきだときっぱり言い切った。私が象徴的と思えたのは理由がある。食口であっても99%の人はこの事実を馬鹿げた話として取り合わないだろうから前もって釘を挿しておくことにするけれど、気の遠くなるような人類歴史の或る段階に於いて、人類は爬虫類の様相を表した時期がある。尻の骨に尻尾の退化した後が伺えるように、爬虫類は人間進化に耐えられず取り残された先祖の末裔的表れだ。勿論爬虫類は霊的なものを個別には持たないので先祖そのものだとは言えないけれど、少なくとも身体的にそういう時期があったことを思い起こさせる存在だ。黒い蛇がトカゲを取り込んでいるとくれば、食口であればピンと来るだろう。昔、松本ママの話の中で、蛇はサタンだから現れたら必ず殺すようにと語られた事を覚えている。多くの兄弟はそこまで真に受けることは無かったと思うけれど、当時私はそれをも信じた。そして実際目の前に現れた時左の足で頭を踏みつけた。踏みつけた瞬間に蛇は私の足首から膝まで巻きつき、咄嗟に足を強く振って巻きついた蛇を地に落とすと、痛みでくねる蛇をそのままにして逃げ去った。今でもその時の足に巻きついた感覚を覚えている。罪のない万物に対してそこまでしてしまった事をずっと悔いていたけれど、松本ママのその話が全くもって信仰とは関係のない見当違いの話とも言えないかも知れないと思っている。堕落性として現れる妬みや嫉妬、猜疑心や執着心、肉欲への渇き、それらを心に宿したのを霊視するなら大小の蛇が絡み合っているのが視える。意外と目の前に現れた蛇は堕落的内面の象徴的実体として出くわしたのかも知れない。であれば見事に始末すべきだろう。義父が始末したと言った時、皆は肩をすぼめて気持ち悪がっていたけれど、私は腑に落ちるものを感じた。

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