2010年5月28日金曜日

キリスト教を考える PART2

イエス様の誕生を祝うのが降誕祭(クリスマス)であることは誰でも知っている。しかし降誕祭の祭事に於いてクリスチャン達が霊的に受け取り魂に及ぼすものを知っているだろうか。キリスト教を貫いているものは新婦思想である。イエス様が降臨されたことで地上に始めてもたらされた愛を、大切に大切に胸のうちに抱えながら、私は再び来ると約束された言葉をひたすら信じながら待ってきた。イエス様の愛こそが自分を高みに届けるのであり、クリスチャン達の意志する魂にはイエス様を慕えばこその衝動が全ての行動の基としてある。そしてイエス様と共に喜び、共に泣き、感情魂をイエス様とひとつにする。楽園級に留まったままの魂基準をそれ以上に引き上げられることを棚上げされたまま、地上という空間に愛を保ち続けてきたのが彼らだ。ここで関係性の全く感じられない事柄に言及することになるが、地球は一個の生命体として宇宙から産まれ出でた。人間はこの地球を自分とは別存在と捉え、住む家ぐらいにしか認識は無いけれど、私自身が外的にも内的霊的にも地球生命体に組み込まれていると言う事実を先ず認識すべきだ。地球が思考し、地球が感情を覚え、そして地球が意志している。統括された地球魂の分枝として人間ひとりひとりが思考、感情、意志を為している。人類始祖が堕落した意味は地球生命体に取っても堕落したことであり、堕落ゆえに地球は魂を病んでいる。この地球生命体に空間を裂いて時間軸から堕落と関係の無い存在としてのキリストイエスが送り込まれた。新たな再生細胞が地球体内に発生した。イエス様の愛が世界に伝播された意味は堕落と関係の無い再生細胞が増えて地球を覆うようになったことを意味する。しかしそれが限られた霊的な再生に留まらざるを得ないことは、原理を知る我々が良く知っているところではあるけれど、キリスト降臨は地球に取っては歴史的変革だ。降誕祭に於いて霊的に受け取り魂に及ぼすものは、この地球生命体の再生で地球魂が呼び起こされた喜びだ。クリスチャン達がそんな理屈の上に立っている訳ではないが、どうであれ受け取る魂に及ぼすものは変わりは無い。この認識を押し付ける訳ではなく、それぞれに学び思考し祈って判断されることを望むけれど、キリスト教秘儀に頭を突っ込めばこんな秘儀的観点から説明もできる。クリスマスは地球生命の再生であり、地球の喜びを自分の魂に覚える祭事だ。

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