2010年5月1日土曜日

今日の想い 167

正直に言うとどの様な結果も有りえた。刑を受けたかもしれないし強制送還に及んだかもしれない。この国で刑に服された御父様を思えば、咎められるべき多くの負債を抱えた私自身こそ、何を言い渡されても受けて当然の報いだろう。しかしながら影響は妻に及び子に及ぶ。移植を受けてアメリカの良心に支えられて生きている妻が、ひとりで生きていくことは難しいだろう。まだ金のかかる子供二人を妻一人で世話するのかと思えば尚更だ。内的霊的戦いに於いてはしきりにこの情に訴えかけて、覚悟の緩みに付け込んでくる。夫や親としての情の執着を天に委ねることができるかをそのつど問い続けられ、それを越えた位置で今度はどう責任を取るかを問われる。あらゆる起こり得る苦々しい未来を次々と突きつけられながら、戦いは内なる世界で繰り広げられてきた。それこそが紛れもない現実だ。突きつけられる一つ一つの霊的提示に対して、その都度決意と覚悟を武器に境界線を押しやりながら、最後の決戦に持ち込んだ。日頃何の意識も持たず、否定的な思いや感情が浮いては消えるのをそのままにしているけれど、実は分別と言われる内的対処をこまめにしていくことで大きな戦いに必要な霊的歩兵要員を集めている。霊的に闘うということがどういうことなのかを今更にして思い知らされて、目が覚めたような感覚だった。明らかに絶対善霊が背後に控えている。億万の善霊の兵士を引き連れている。しかし隊列を整え戦意を鼓舞し、負け知らずの群れとするのは誰でもないこの自分だと認識しなければ、絶対善霊を引き寄せておく器量もなくなり、霊的に消え入りそうな私を素通りし霧散していく。

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