2010年5月17日月曜日

み言への姿勢

人間は地上に縛り付けられ、地上に執着し、地上の幻想を唯一の拠り所として生きている。御父様は地上に縛り付けられてもおられないし執着してもおられない。あらゆる次元世界を自由に行き来しながら歩んでおられる。人間は地上でこそ存在できると、地上以外の生は有り得ないという認識の上に立っている為、死を恐れ死を忌み嫌う。地上生活は霊界で生きるための準備期間であることを食口であれば知っているけれど、その認識は薄く頼りなく、圧倒的な地上的現実の前には影を薄める。食口であっても地上に縛り付けられ、地上に執着し、地上の幻想の方が現実的なのだ。しかしその次元に埋もれたままでは、どれ程論理的な頭で消化しようにも、御父様の言葉は理解できないだろう。何度も何度も数理の説明をされ、聞く者の意識を誘起するようYESかNOかを度々尋ねられるけれど、人間本来の意識は未だ目覚めてはいない。睡眠中の無意識状態が霊界への参入を認識していないように、目覚めた状態の意識も非情に限られたものでしかない。殆どの意識は未だ眠ったままなのだ。私達の意識は眠りから目覚めなければならない。御父様の言葉を読み解くことができる意識を目覚めさせなければならない。その教材はみ言以外ない。み言に対しては読むという認識を超えた接し方、受け取り方が要求される。ある意味内的霊的戦いが繰り広げられる。訓読する時間は戦いだという認識が先ず無ければならない。み言が生きて自分の魂に作用するまで、み言と私の間に幾重にも阻まんとする霊との戦いを勝ち抜かなければならない。み言の一つ一つが生きて私に働きかける神霊の姿を現して、初めてみ言の力を知るようになる。地上に縛り付けられた意識では、遠からず人間進化に働き始めた宇宙変革についていくことは出来ずに、置き去りにされることになるだろう。生活することに躍起になっているけれど、人間に取って恐ろしいのは生活基盤が無いことでも病でも死でもなく、人間進化から取り残されることが最も恐ろしいのだ。その意味で天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者達がそれを奪い取っている。

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