2010年5月11日火曜日

久々の親孝行

若葉がしっかりと葉を広げ、日本的なこんもりした山々の殆どをその若葉の緑で覆っている。山の中腹を標高線に沿って右に左に曲がって走る道路を、ブレーキとアクセルを交互に踏みながら進んでいく。左側走行には直ぐにも慣れて、助手席に座っている父も安心して背もたれに頼っている。中国山地の頂きにある田舎自体はバスも通らないほど何もない所だけれど、少し車を走らせると日帰りの温泉施設は結構たくさんある。日本で歩んでいる時は田舎に帰ることも許されず、ましてや温泉など入ろうものなら負債すら覚えていただろう。それを思うと国外で歩むことで逆に日本という地の恩恵を受けていることに不思議さを覚えている。今回は妻のことを思っての帰省だけれど、年老いた親の為にも出来るだけ頻繁に顔を見せたい。市内で一人住まいをしながらの高校生活を終えるとそのまま献身してしまった。今となっては、決して若くは無い息子に対して愚痴のひとつも言いたいはずだが、過去に味わった親の心の痛みは胸の奥底に収めたままで、口にも表情にも出すことはない。み旨の為、結局は親の為だと言いながら、親の心労以上の苦労をなめてきた訳ではない。私に対しても御父様に対しても、恨みに思って当然の仕打ちを実際投げつけてきた。それを思えば親に対して頭が上がることは無い。み旨だと言って家を飛び出した兄弟達はその自覚を持つべきだろう。勿論家や親の事など見向きもせずに歩む必要があったことは否定しない。しかしだからと言って必要性を親に強いて、それを親は受け入れて当然だと思うのは少し違うと思う。温泉施設に着くと人数分のチケットを購入してそれぞれに渡し、足が悪くて引き摺っている父と、一回りも二回りも小さくなった母を前に見ながらゆっくりと浴室に向かう。傷つけた親の想いをそのままの後ろ姿に見ながら、いつまでもいつまでも元気でいて欲しいと願いを込めるしかなかった。年老いた親が嬉しそうにすればするほど、私は返って切なくなる。

0 件のコメント: