2010年5月29日土曜日

キリスト教を考える PART3

み旨を完遂できずに、道半ばで十字架という無念の死を遂げたイエス様は、三日目に復活される。降誕祭は地球生命体の再生であり、それはイエス様の愛を受け入れた人間からすれば、再生された地球の魂に霊的に繋がれたことを意味する。堕落によって、死んでいた魂の形骸の中にキリストイエスの魂が入ることで蘇生され、切れていた人間ひとりひとりへの魂の糸がつながれる。復活されたイエス様は復活40日の霊的信仰基台を立てられることで、本来地上でのイエス様の摂理が成就されていたなら必要なかった復活祭をもって降誕祭を支えている。降誕祭が地球生命体の再生であるなら、復活祭は太陽存在に拠る愛への関与だ。イエス様がもたらした愛への、太陽存在からの強い働きかけだ。御父様がヘリコプター事故から生きて実体復活された時のみ言葉を思い出して欲しい。太陽が友達であることを知ったという不可解な言葉を述べられている。その意味は復活に於ける太陽存在の関与を口にされたのだ。地球に太陽の光が降り注ぐように、地球生命体に太陽存在の愛が降り注ぐ。霊的感性が眠っている現代人に取って、地球生命体と言う概念も太陽存在という概念も、空間的物質的にのみ地球や太陽や宇宙を捉えることに慣れてきた立場からは、その概念形成が難しいかも知れない。しかし霊的な事柄に関することこそ主体であり原因である立場に自分が立ち、その視点から見ることを養わない限り、本質は姿を現さない。この世界も進められている摂理も、御父様のみ言葉も私に開かれることは無い。

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