2010年5月7日金曜日

日本の国に想う

普天間の問題で相当ぎくしゃくし鳩山政権も困惑の極みに落ち込んでいるけれど、鳩山首相がぶれにぶれるのは一本筋が貫かれていないからで、それは彼だけに当てはまる事ではなく国民全体に言えることでもある。軍国主義から自由主義に、一瞬にして国の在り様も国民も変わったように思っているかも知れないけれど、実際は何一つ変わってはいない。日本人に貞操観念は無い。いつもいつの時代も周囲になびいている風の儘に自分を合わせてしまい、最初から自我を認識してはいない。日本人は風見鶏だ。周りが人を殺せば自分も殺し、周りが輪姦すれば自分も加わり、周りが平和平和と叫べば平和の意味も解らずオウム返しをする。軍中心部の言葉に踊り、左翼の言葉に踊り、今はマスコミの言葉に踊っている。踊らされているのではなく踊っているのだ。日本人は誰かが笛を吹き太鼓を叩くのを待っている。それがどんな音色だろうと、どんなリズムだろうと構わない。繋がる自分の根源を求めようとせず、自我存在を曖昧にしたままで毎日を流そうとしている。ゴールデンウイークは誰もが同じ様に行動し、終わればまた誰もが能面をつけて出勤する。不況の谷間に落とされたり、病や介護の疲れに沈んだ者は踊り続ける事が出来ずに相手にも自分にも死を選ぼうとする。日本人の異常さを当の本人は全く気付いてはいない。日本には信仰の自由はない。宗教という言葉を受けていかがわしさを誰もが覚えている。いかがわしさを覚えている時点でその人には信仰の自由は無い。いかがわしさを覚えながらも敢えて触れようとせず無視すれば、そこに自由の空気は流れない。人は人、自分は自分と言うのが自由だと勘違いしている。日本人は異常だ。日本を愛し国を救おうと思えばこそ敢えて忠告したい。少なからず日本食口も日本の異常な空気を吸っている。私も日本での歩みを振り返って異常な空気に踊らされていた時期を認識している。目覚めるには国外に飛び出すしかないと思っている。飛び出さないなら飛び出さざるを得ない状況に追い込まれても飛び出すべきだ。日本食口がどれ程の苦労を為してきたか。御父様がそれを理解されていることが唯一の救いだ。いかがわしい部類に括られて歩んできた食口の道のりは涙に溢れている。しかしそれと同時に日本的な異常さが加味されてきたことも事実だと思う。監禁問題は日本の異常だ。日本の異常をここまでの長い間、結果として許してきた教会の体質も異常だ。

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