2010年5月27日木曜日

今日の想い 173

無知を超えることが出来ずに、夜が明ける。無知は死の領域であり、死の領域を超えないまま朝を迎えなければならない。知を得てこそ、差し込む光は光の意味を携えて私を包むのであり、無知のままでは光の抜け殻を受け取るだけだ。科学が説明するところの太陽を拝み、科学が説明するところの光を浴びても、その本質を受け取ることは出来ない。御父様の上にも、堕落した人類の上にも、等しく太陽は輝く。そして等しく光を浴びている。御父様に取っても、堕落した人類にとっても一日は一日であり、夜を越えて昼に生き、また次の夜を越えて昼に生きている。しかしながら、明らかに御父様が受け取られる同じものを私は受け取ってはいない。私には太陽も月も黙して語ることはないし、光に包まれながらも視覚を通して存在の有無を確認させられるだけで、それ以上のものを受け取ることは無い。食べて寝て行って来る一日は、食べて寝て行って来るだけの一日で終ってしまう。周囲を認識しながら生きる私の愚かな知のままに、光は光の衣服を脱いで私に正体を差し出すことは無い。しかし私は知っている。自分の無知が全ての認識を誤らせていることを。自分の無知が全ての対象との境界を作っていることを。自分を無知のままに留まらせる存在が私に四六時中働きかけている。それすら知らぬままに、五感だけに頼るしかない檻の中で、生きるでもない生を生きてきた。後天開闢時代が開かれて、全ての本質は差し出されていく。霊界と地上界がひとつになるとはそう言うことだろう。堕落人間の概念では理解を超える多くの内容を、御父様は語られ始めた。語って理解できない事柄を語るほど、御父様は暇ではない。私達が理解できるほどに無知を克服できるはずだと、そう踏まれて語っておられる。外はすっかり明けて強い日差しが向かいのビルの壁に反射している。同じアパートの、数棟のひとつの地下一階は、地表の上にあったとしても日中でも薄暗い。この薄暗さが自分の内的霊的暗さをそのまま表している。私は霊的無知を克服しなければならない。無知のままに生きることを望まない。霊的無知を克服し、御父様が訪ねられる多次元の世界に共に参入することを望んでいるはずだ。しかし、その為に私を無知に留まらせる霊的存在と取引し、差し出すものを拒んではならない。この四肢を失い、眼を失ったとしても霊的無知を克服したいと思えるほどに強く望んでいるだろうか。そこまでの想いが無いままに受け取ろうとするなら讒訴を免れないだろう。未だにその辺りで躊躇したまま、また新しい朝を迎えてしまう。

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