2011年3月19日土曜日

今日の想い 280

デイライトセービングで一時間繰り上げられ、朝の六時はまだ暗い。冬の間は夜が明け始める前からカラスがうるさく騒ぎ立てていて、首をすぼめて店に向かっていたが、三月に入った頃あたりから玄関扉を開けると鳥のさえずりが迎えてくれて、少しは気分が晴れてくる。日本は原発の問題が深刻なようで、戦後最大級の災害で相当数の犠牲者を出しながら、それでも悲しみにくれている余裕も無く対処に追われている。東北の地域で歩んでいた期間は五、六年だっただろうか。仙台で先ずお世話になって車の免許を取ったり雑用を手伝ったりしていた。仙台を拠点に地方も回っていたので仙石線の沿線上は大体知っている。松島で降りてみ旨もやらず、日がな一日海を眺めていたこともあった。それから盛岡に移動したが、三陸の方に足を伸ばして宮古や山田町、釜石方面まで訪ねていった。宮古の浄土が浜の景色は昨日訪れたかのように思い出せる。最初に目にしたとき、奇岩もさることながら、海の緑色の深みが実に神秘的な美しさで、見つめていると呼び寄せられ吸い込まれそうで怖かった感覚が、三十年を過ぎた今でも残っている。どこを訪ね回っても素朴な人達がいて、セールストークは早々に終え、世間話や昔話を聞きながら漬物をつまんで茶腹を太らせた。いろんな思い出がある。あの地域一帯が壊滅状態だ。もちろん随分昔のことなので、私がいた頃の景色とは違うだろうけれど、それでもあちこちの景色が一つ二つと思い出せる度に感慨が深まっていく。当時の若い頃の歩みは深い思慮もなく、内的霊的なものを踏まえずにただ時が過ぎ去れば何とかなるようないい加減な歩みだったが、それでもその地で歩んだ以上私と因縁があったと言うことだろう。私が今踏んでいるこの地も先の事はわからないけれど、取り敢えずは鳥の声を愛でることができる安全域に居ながら考えている。私は被災地のために何ができるというのだろうか。情けない話だがどうしていいのか未だにわからない。安全圏にいることが負目になっていて、下手に何とかしようという焦りで意味も無い意味付けを試みているだけだ。誰かに非難されて心が痛むなら、それはそれでありがたい。

0 件のコメント: