2011年3月16日水曜日
今日の想い 278
家族を失った人々や、行方不明の家族を抱えた人々の心痛は計り知れないものがある。被災地でカメラに映る者の誰一人として、抱えきれない胸の痛みに余裕で対している者はいない。今を生きるだけでみんな必死だ。瓦礫を前にした彼らの悲痛な叫びや、震える手の甲を押さえつけて拭う涙。放心状態の親に寄り添って離れない子供たちのあどけない表情。肉親も家も何もかも、根こそぎ流された身ひとつであっても、向けられたマイクに気丈に答えている。もし同じ立場に立たされたとして、私は彼らのように振舞えるだろうか。私はこの人たちの誰ひとりにも頭が上がらない。そんな私が祝福家庭だと、恥ずかしくて口にもできない。今犠牲となったおびただしい魂の群れが、今年の春の足音を耳にする前に昇って行く。津波の後の、泥水が乾ききらない瓦礫の平原から、湿原の夜を舞う蛍火のように昇って行く。かつての広島や長崎が、空襲で焼け野原になった東京や地方都市が、平和な時代と信じていた現代の東北沿岸に再び広がる。画面の中でしか見なかった色あせた当時と同じ風景があちこちに広がっている。首都圏は今回の地震圏内に入ってはいたが、交通混乱や電力規制には悩まされても東北沿岸のあの被災に比べることはできない。魂の奥に刻まれる程の学習はしていないだろう。生命を捧げ、魂が打ち震える程の体験がなければ、この民族は目覚めることはないのだろうか。日本民族の精神はこれほどに地に落ち、皮膚で包まれた身体の中だけで自己愛に没頭し、萎縮しきってしまっているのか。何事も無かったかのように、全てを過去に葬り去ろうとするかのように首都圏の時は流れていく。そこに留まる空気に熱いものは感じられない。熱い血潮の流れは感じられない。冷めた無機質の栄養素以外彼らは必要とはしない。皆の冷たい思いが、冷たい雪となって被災地に降り積もる。
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