2011年3月19日土曜日
今日の想い 279
最愛の家族を失った多くの人達がいる。彼らは気持ちをしっかり持ちながら残された者の務めを健気にこなしている。しかし彼らの多くは霊界の存在を理解もしていないし、もちろん原理も知らない。今は避難所生活で目の前のことに精一杯であって内面に問いかけてみる暇もないが、少し落ち着いて彼らも必ず立ち止まる時が来る。その時に、どうして自分の家庭が犠牲にならなければならなかったのか、家族の夢や未来がどうして絶たれたのか、抱えきれないほどの納得できない感情的痛みを何とか癒そうと、その理由を必死で探そうとする。家族の肉体生命は絶たれたとしてもそれでも必ず生き続けていると、そう信じたいと思って闇雲に自分に言い聞かせながら、時が癒してくれることだけを期待しながら苦痛の日々を送っていくことになる。被災された食口も少なからずいる。食口であれば霊界への感覚は乏しかったとしても、原理を知っているし霊界が存在することも確信している。現実を受け入れることはそう容易い事ではないにしても、それでも犠牲の意味は理解できるし、天に訴えることもできるし、そして時間をかければ犠牲になった家族の想いを霊界から受け取れもし自分が癒されもする。同じ御父母様を真の父母として慕い侍る食口への心配は当然のことだが、その想いを敢えて超えて、最も神様から遠い人達にこそ光を宛がおうと意志を働かす私でなければならない。日本に対しては少なからず恨を抱えている韓国が、何処の国よりもいち早く応援に駆けつけてくれたことがどう言う意味を持っているのか、み言葉を知っている食口なら理解できるはずだ。日本にもっとも近いから早く来れた等と適当に言い捨てることはできない。最も近いけれども心情的にはもっとも遠い国のはずだ。元慰安婦と名乗るハルモニも出てきて哀悼の気持ちを捧げていたが、そこに政治的なものが加味されていたとしても、そのおばあさんの気持ちに偽りは無い筈だ。今回の天災に関わらず意識もされず光が届かないところが必ずあるし、その最も遠いところに光を充てることで、真の愛の光が日本を貫く風穴を開ける、その突破口となる。
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