2011年3月27日日曜日

今日の想い 282

傷ついたといって、その傷口を舐めることだけに終始するのであれば、私の魂全体に傷は広がり魂は腐っていく。舐めながら実のところ傷そのものをいとおしんでいる。傷に愛着を覚え、傷を放そうとはしない。癒されない私の魂は、その在り様が既に愛を拒んでいる。愛は魂を開かずには流れ込んではこない。傷に閉じこもり内に内に向かうだけであれば愛の流れを堰き止め、逆流させようとさえしている。確かに恐れであれ不安であれ、苦悩であれ焦燥であれ、魂の傷や病を抱えたままで処理できずには次のステップには進めない。そう思い込んでいる。では私が抱えている恐れや不安が消え失せ、心配事のひとつもなかったなら魂の新しいステージに向かおうとするだろうか。私達の魂は罪の歴史を通して既に病んでいる。堕落性に染まりきっている。堕落性だと認識している私の性品は認識しているだけ問題はないが、実は堕落性だとは気付きたくもない堕落の魂を基盤に置いて生きている事の方が問題なのだ。その偽りの自分への執着を開放できずにいる。魂の表面に浮き上がってくる感情としての傷や病は、その対処の為に精魂を投入するけれど、魂の深いところに沈殿している毒気の強いものに対しては無視し続けている。本来はそれこそが問題であり恐れるべきであり、その根底を掃除する為に精魂を使うべきだ。魂に波風を立てる遺棄したい感情が、人生の中で様々な出来事と共に持ち寄られる。しかしそれらは、それを通して学ぶべきことがある学習教材だ。表面的平安が私の願いでもないし、表面的平安の為のご利益信仰でもない。傷口を舐めながら恨みを募らせるより、先ずは呑み込むための甘受する力をみ言葉から受け取るべきだ。その吐き出したい程の苦い薬を呑み込むことで、魂の奥に働きかけるものがある。私の魂の背後の中心核には御父様がおられ、御父様が正しくその薬を用いながら堕落的魂を根治される。

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