2011年3月7日月曜日

今日の想い 273

明け方前から一日中、一時も休まず雨が降り続いていた。この長雨のせいなのか、昨夜から熱が上がり風邪の症状が一日中続いた。だるい身体を薬で誤魔化して、朝の条件だけは何とか済ましたが、一日のあとの残りは節々をただ摩りながら終ってしまった。頭も回らず身体も引き摺るような状態が続いて、雨が一段落した頃にやっと人心地が着いたようだ。発熱は身体が菌に対して抵抗している状態だが、熱があるとどうしても嫌気感に悩まされる。でもこの嫌気感が無かったら身体を気遣うことは恐らく無くなるのだろう。身体が弱いと言うことは身体が労わりを要求し、愛されることを望んでいるということだ。体があっての地上生活だ。地上生活を送る為には肉体が欠かせない。現代人は肉体の中に深く浸透しているから、肉体自体を私だと誤解しているが、両者の違いを認識することが宇宙の真理を把握する第一歩だ。それは宗教的な感覚を備えると言ってもいい。神様に繋がる自我があって、心と体が一体となることで私という存在が個性完成する。神様の第一祝福が個性完成だが、堕落人間の心と体は戦い続けていてその一体化は至難の業だ。更にそれが神様の祝福だと言っている。しかし祝福だと納得できる感覚を放蕩の果てでぼろぼろにならないと堕落人間はなかなか理解できない。普通の生活感情で為に生きることや、犠牲精神は苦痛以外の何ものでもないと捉えている。それは体から受け取る感覚にのみ生きることを望んでいるからであって、感覚を超えて霊的なものを信じていないし指向してもいないからだ。霊的なものを信じ、指向しないかぎり個性完成の祝福は入り口にも届いてはいない。愛であるとか、理想であるとかという言葉は、地上感覚を超えた霊的なことを言っているのであって、霊的に捉えないで感覚にのみ生きる者が使う言葉ではない。まだ熱が完全には引かない。明日はどうだろうか。少しは楽になっているだろうか。今朝方、条件をどうしようか躊躇もしたけれど、済ませたら済ませたで達成感はあった。誰に話すにも恥かしい小さな小さな心の満足だが、それでも少しずつ少しずつ背伸びする自分を積み重ねていけば、神様が直接私を尋ねてくださる時があり、心のままに体が従う一体化が、或る時為せる。一体化した自分を私は将来見ることになる、という自分理想を見失わずに、今日一日を生きるにも忘れてはいなかっただろうか。

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