2011年3月1日火曜日

今日の想い 268

心と体の一体化、アベルカインの一体化。ひとつになりなさいと語られる御父様の一体化の概念と、私達が理解している一体化の概念が本当に同じだと言えるだろうか。そこに大きな開きがあって、ひとつになると言う事が曖昧に適当に取り扱われ、一体化されていないにも関わらずひとつになった気分だけで御父様の願いと角度を同じにすることが出来ずに、時間が経てば経つほどにズレが生じ目立って来ていると思った。御父様の激しいマルスムは、表面的には居並ぶ者達への蔑みの言葉や憤りの言葉に溢れ、御父様を知らない者達が見るなら何処の組の会合かと思えるほどに殺気立っている。その暴風雨圏内のど真ん中に身を埋めながら、一体化とは、そして御父様の願いとひとつになるとは、文字通りの決死の覚悟と決意を備えることは当然であって、決してひとつになった気分で盛り上がることではないと言うことが分かった。ひとつになっていると言うなら、ひとつになった証を実体で表明しようとし、実体で表したいと切に願い出て行動に出ることだ。御父様の采配を待って事に従おうとする以前に、当事者であるならどうすべきかは私が決めるべきことであり、御父様に尋ねることで委ねていると言いながら実のところ逃げているとしか言いようがない。御父様に持っていって御伺いを立てたにも関わらず、御父様が怒り心頭に発せられて下された支持命令に今度はうろたえている。これで皆の目が覚めるのであればそれでもいいが、心血を注いで育ててきた群れや、信頼を於いて疑わなかった責任者達の余りにも不甲斐ない姿を御覧になって意気消沈されたことだろう。それでも最後には私達に信頼を置いていることをその視線に、その表情に表され、期待もされて良い報告を待っているとはっきりと私達に伝えられた。明らかに私達は伸るか反るかの瀬戸際に立たされている。ここで信仰を立てて御父様の息子娘であることを証せずに、どの機会を待って信仰を立てようと思うのだろうか。最悪の状況は最高のチャンスでもある。居並ぶサタンが姿を現せば、天運という天運全てを携えて居並ぶ善神も待ち構えている。

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