2011年3月2日水曜日

今日の想い 269

御父様の真ん前に座ってみ言葉を受けながら、その意味を受け取れない歯痒さと言ったらない。御父様がどうして日本語を話さないといけないのか。君達が韓国語を理解するべきだろう。そうおっしゃったけれども正しくその通りだ。一生懸命勉強して来たけれども、それでも御父様のみ言葉を聞き取れるまでには至っていない。日常の言葉もままならないのにどうしようもない。周りも理解出来ない者達ばかりだからと思うのは完全に間違っているだろう。周りを見渡して安堵しようとする日本的習性の私こそが恩讐だ。今回の情けなさをしっかりと胸に刻んで、これからますます韓国語習得に拍車をかけていこうと思った。今の勉強の仕方ではどうしても限界がある。アメリカに渡って英語環境にどっぷり浸かることで、日常英語が何とかものにできたように、韓国語の環境に浸かることが先ず必要だろう。教習本をめくる程度では生きているうちに追いつくことは万が一にもないということだ。同じ言葉を使わない御父様と日本食口の間には深い心情の溝がある。この私が歯痒い想いをしているのであれば、御父様はもっと歯痒いに違いない。慣れない日本語を使われて、しかしそれでも自分の想いが目と鼻の先にいる者達に届かない。その苛立ちが言葉の端々に出て、表情にも出ているのはわかる。それでも何も出来ない。何もして差し上げられない。通訳を通さないと遣り取りできない、そんな親子関係がまともであろうはずがない。親と同じ言語をものにしてこそ親子関係の基盤となる。言葉に乗せて心情の遣り取りができる。真の愛がフィルター無しに、直接魂のど真ん中に届けられる。

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