2010年7月19日月曜日

氏族メシヤ

御父様が執り行われてこられた多くの宣布式や大会を、その意味するところを受け取ることが出来ないまま、内的霊的に私にどう関わっていくのか解らなければ、私と関係のない通り過ぎていった行事に過ぎない。先生方に解説していただいても、これまでの宣布式や大会の意味すら解ってはいないのに、過去の勝利が積み上げられることで今回の宣布が為される意味が解ろうはずが無い。解ろうが解るまいが、それとは別に自分がみ旨だと思うところの、献金の為の経済復帰であったり伝道や氏族復帰であったりという目の前の為すべき事柄がひしめいている。そのみ旨と思うところの行動を御父様は願われていると言うのが私の中の中心的な位置を占めている。しかしながらこれまでどれだけ走っても、未だに親兄弟が見上げるほどの家庭の経済基盤も、親兄弟親戚の中にある様々な内的問題を解決するような人格も備わってはいない。未だに氏族に対して何らの主導権(長子権)も握ることが出来ずに今に至っているという兄弟が殆どだろう。自分が氏族復帰も為せずに今の位置に留まったままで、言われるままに大会や式や行事に参加し、参加することでよしとする、或る意味形式的聖徒さえ装えばOKと言う私に堕ちてはいないだろうか。この世に対してあくまで主導権を握らない限り、地上天国は見えては来ない。所詮誰しもが御父様が勝利された路程を歩まざるを得ない。主の名を唱えていれば天国に連れて行かれる訳ではない。自分の頭の中に御父様という言葉が響いていれば安心だというような、夢を見ている意識状態から目覚めなければならない。我々に今一番必要とされていることは、切実さだろう。今、足をつけて落ち着いているその土台が崩れ去り、外的な生活が脅かされることでしか目覚めないなら霊界はその方策を取るかも知れない。生活が奪われ、たとえ生命が奪われかねないとしても、霊的生命が奪われるよりはいい。教会内の内的安住の位置からこの世というカイン圏に自分を投げ込み、それでこそ生きるものがある。それでこそ祝福を通して私の中に植えつけられた、御父母様の血統に繋がる御父様の分霊の存在を自分に見る。それでこそ御父様が勝利されて打ち立てられた宣布式を、自分に相続しようと本気でその意味を受け取ろうとするだろうし、受け取ることで主導権を握る段階を踏んでいける。氏族メシヤとして、堕落したアダムとエバの位置に立ったままなのか、それとも霊的にのみ勝利したイエス様の位置まで持ってこれるのか、それとも実体の氏族メシヤとして勝利するのか、その切実さを思えば自分の事や生活のことなどに思い煩う暇はない。

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