2010年7月1日木曜日

空の青

夜が明けて、光が地上に届けられる。光が満ちるに従って空の青は次第に濃くなっていく。私達は空の色を青色と判断する。空に青の色素が鏤められている訳でもないのに、空に青色を見ている。空を青色と認識させる存在があることを、地上から上空を見上げることで理解する。空を青として目に映らせる存在は宇宙の生命を担う存在として可視的に現れている。地上に於ける植物や動物の物質体を担う生命体を可視的に認識することは出来ないけれど、空の青として目に映りこむものに地上の全ての生命体を担うものを見ている。生命あるものが生命あるものの活動を為す力が空の青から流れ込んでいる。空の青から流れ込むものを、何の障害もなくそして欲張ることなく人間が受け取ることが出来れば、人間はあらゆる病を克服できるだろう。しかしながら堕落人間は人間としての健康体を阻むものをも内に有している。病んで生命を謳歌できない状態を体験することが、その人に取っての地上生に於ける蕩減的使命として運命的に備えられている。生命の尊さ、健康の有難さは、病に苦しみ、それを渇望した者であればあるほど理解している。病知らずの健康的生命そのものを何の心魂的痛みも覚えずに手にするなら、堕落人間は人間理想をいつまで経っても掲げようとはしない。人間理想を掲げることをやめれば何処までも動物存在に堕ちていく。創造本然の人間理想を掲げながら捨てずに今日まで来れたのは、体の痛みや心の痛みを克服できる精神の高みを得ようと努力してきたからだ。空の青から流れ込むものを、生命の尊さを味わい尽くした後に受け取ることが出来る。淀みない空の青で私の生命体が宿り、光り輝く柔らかな水晶体とも言える、健康体以上の健康体を受け取るならば、それに勝るとも劣らない心魂様相を備えた真の愛の人とならなければ、身体が逆に私を讒訴する。空の青に没頭し身を委ねることで、人間本来の生命体に思いをはせることができる。光り輝く本然の人間が住まう、地上の器は、ブループリントとして空の青に既に刻印されている。

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