2010年7月7日水曜日
今日の想い 190
親なんて簡単にひねり潰せる。産まれたくもないのに何で産んだと詰め寄ればいちころだろう。あまりにも少ない言葉数のひとつひとつを、その言葉に秘めた内心をことごとく慮り、本音の裏に隠された魂に居座っているものを探り当てる。しかし、もし探り当て言い当てたとしても、それで本人が変わるわけでもないし悔い改めるわけでもない。親としては胸をかき切られるような鋭い言葉を投げつけられ、子供にしてみればそれは傷つける言葉を吐き捨てることでしか表現できない愛の減少感の裏返しなのかも知れない。愛し愛される基礎を丁寧に築き上げることを疎かにしたまま、絵に描いたような家庭理想を期待し、それを子にも押し付けていたのだろう。子に対して可愛くて可愛くて仕方がない事と、子を愛する事とは意味合いが違う。愛の絆でしっかりと繋がれていたはずだという幻想が目の前で崩れて行き、痛々しい現実が暴かれる。実は今までだってそうなのだろうけれど、敢えて見ないようにしていただけかもしれない。現実をしっかり見ろと言うことなのかもしれない。これからの道のりを思い測っていくと気が遠くなるように頭の重いことではあるけれど、この歳であっても地上に足を着けている以上振り出しから再出発しろと言うことだ。教会内でいろんな出来事が起こっている事と、小さなこの家庭で起こっている事とが、内的霊的にはリンクしているのかも知れない。私の内面に起こることも、子供の内面に起こることも、そして異なる内面をどう一致させ一つにすることが出来るかについても、大きな霊的流れがあり、その支流の支流として何らかの影響を受けているはずだ。全ては根底に於いて一つに繋がれている。今となっては自分を落ち着かせ、必ずや御父様の勝利圏から流れるものがあるはずで、一つ一つの事柄に精誠を込めながら信じて待つしかない。
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