2010年7月26日月曜日

今日の想い 197

太い枝ごと千切れて吹き飛ばされて道路の端に散乱している。路面にはもみくちゃにされた枝葉が所構わずへばり付いている。NYでの大会を終えた明くる日、DCまでの帰路の途中で天の底が抜けたかのような大雨に見舞われたけれど、高速を降りてその惨状に驚いた。降りて最初の信号が働いていないものだから不思議に思いながらも、それが立て続けに作動していないのを見て初めて、そこら一帯が停電していることがわかった。速度をしっかりと落としながら周りに目をやった時入ってきたのが、最初に記した風景だ。相当の嵐に見舞われたらしい。DCのメトロエリアに近付いたときは千切れ雲は確認できたものの水色の穏やかな空が広がり、この風景は半時前の荒れようからは想像できなかったようだ。まだ明るいうちにアパートに帰り、建物の中に入って見ると、案の定電気は止まったままだ。薄暗い廊下を突き当りまで来て、手元に用意していた鍵で入ると室内には外の明かりがまだ入り込んでいる。暮れる前に着いて良かったと思った。それでも闇は次第に浸入し、空との境がやっと確認できる頃には部屋の中は完全に闇に埋もれてしまった。電化機器も全て止まり、生活音も何一つしない。静寂の中で唯一の光源として灯したロウソクの灯火だけが揺らいでいる。現代文明は電気文明でもある。電気が滞りなく届くことで全ては回転している。電気が止まれば人間すら動きを止め、暗闇の中で不安を抱えながら怯えているしかない。経済システムが破壊するほどに通貨が暴落すれば、到底電気など供給できない。水もガスも止まるだろうし、油も回っては来ないので車だって走らない。この嵐の停電騒動で現代文明の脆弱さをひしひしと感じた。天が意思すれば生活の全てを止めて、人類が本質を問うようにすることは造作もないことなのだ。先週はDC郊外のこの街を震源地として地震が起こった。この東海岸で地震が起こったなどかつて聞いたことがない。自然災害が随所で起こっても地震がこの辺りで発生するなど思ったこともなかった。朝の五時丁度、イーストガーデンで御父様が訓読を始められた丁度その時だ。何が起こっても何の不思議もないと言うことがわかった。天地開闢時代は開かれたけれども、地上的な天地開闢の前には三日間の暗闇が訪れる。地軸が移動するのか、自転が逆周りになるのか、太陽が天岩戸に隠れるのか何なのかはわからないが、天宙的新時代の地上的幕開けの前に三日間の暗闇が訪れる。三日間、人間の身体にも深い暗闇が浸入し、暗黒を生きることで新しい時代の身体を用意する。

0 件のコメント: