2010年7月11日日曜日

今日の想い 194

私達は今回のことを通して飛躍的成長を願われている。私に罪があるから御父母様が必要で、言われた事を一生懸命やればいい。その程度の認識や、それに類似したみ言葉らしき言葉を使い回ししながら、結局は狭い教会的意識に留まったままだ。それで本当に摂理完遂は為せるのだろうか。私が完遂するという覚悟と決意を供えた者が本当にいるだろうか。御父様が2013年1月13日を摂理完遂の日と決められたからそうなるのだろう、ぐらいの認識に留まった者が殆どだろう。誰かが為し、私はそれに乗っかるのであれば、それは天国を何処かの楽園の島に入るかのような外的認識で捉えているだけで、心情的勝利圏に同参することはできない。神様から見ても、御父様から見ても、私達は空を仰いで主の再臨を待つクリスチャンと同じように、空中に浮かんだ天国で御父様を中心に和同会でもしているような情景を思い描き、要するに白昼夢から醒めてはいない。ONE FAMILY UNDER GODの本当の概念を私達は所有してはいない。その道筋に於いて誰かを蹴落とし廃するなら、どうして仰ぐ主題とひとつになることができるだろうか。人類がその主題と一つになる為に積み重ねられたピラミッドのひとつひとつの石は、どれを取っても精誠が込められたものでなければならない。ひとつやふたつぐらい政治的に悪の知恵が入り込んでいても構わない、表面的平和の構築が為されればそれで善しとされると誰が言えるだろうか。御父様がそれを善しとされるだろうか。私の良心に鑑みて私はこの道を行くのであり、私自身もこの良心が羅針盤であるとそう言えるだけの内的霊的成長を私達は願われている。今回の一連の事柄は私達にそれを要求している。今回の事は全体に取っても、兄弟ひとりひとりに取ってもONE FAMILY UNDER GODの試金石となろう。決して踏み絵で裁くと言うような、存在意義を根底から崩すような無知に陥るべきではない。

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