2010年7月4日日曜日

今日の想い 188

新しい朝は必ず訪れるのに、太陽は必ず登り朝の光で地上を満たすのに、御父様を慕う心情をいつ何処に置き忘れて来たのだろう。何もかもが恐ろしくて、いつもびくびく周りを伺いながら、小刻みに震え続けていた遠い昔を忘れ去るほど、私は傲慢になっていたのだろうか。あの時と何ら変わってはいないはずだ。相変わらずの恐れで小心者で泣き虫で、ガラス細工のような魂を大事そうに抱えながら生きている。私を強くしているのは信仰であり愛であり、神様からくるもので強化されている。信仰をはずし愛をはずし、それで神様から受け取るものを失うなら、サタンでさえも掃いて捨ててしまう只の塵に過ぎない。強くされた私を、誰の力でもない私自身の力だと錯覚すれば傲慢になる。傲慢になって上からの眼線で他を論評する。神様からなのか自分の傲慢からくるのか、言葉を選び態度を選び感情をも選んで対するべきなのだ。今ある位置を捨てて下っても、御父様を慕う心情と力を取り戻さなければならない。私の周囲に付属している全てを失い、この腕やこの足さえも失ったとしても、御父母様を慕う想いだけあれば充分で有難いと、啓拝の一つを精誠の限りを尽くして捧げることができれば後の事はサタンにくれてやっても構わない。確かに私は一番大切なものを失おうとしている。慕う心を置き忘れている。宇宙は朝日が昇る儀式を忘れず供え、夕日が落ちる儀式も忘れることはない。そこには厳然たる秩序を保つことを使命として侍り、創造主に対する慕う心情を備えた宇宙の存在が働いている。宇宙の秩序は神様に絶対的に慕い侍る霊的存在で維持されている。今の私にこの朝日を浴びる価値はない。慕う心を置き忘れた私は、唯一悔い改めることで慕う気持ちを取り戻せる。

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