2010年7月30日金曜日

今日の想い 198

私の言葉の中に否定的な印象が含まれているらしくて身構えているらしい。分派の臭いを嗅ぎ出したように近付こうとはしない。分派を分派として枠組みし、反逆者に仕立て上げたのは他ならぬ我々の体質に多くの原因はあると思っている。サタンが入ったと言い切ってサタン視すれば、彼らの救いの道は閉ざされてしまう。と同時に我々の側の括りも、相手をサタン視したその射すような視線で自分をも見ている。そこに愛の道理が働いているとは到底思えない。サタン視してしまえばアベルカインとして一体化する道は閉ざされる。自分の中に心と体の闘いがあることをどう認識しているのだろうか。心がアベルであり体がカインだ。カインである体が、神様の恩恵を受けようとすればアベルである心を通さなければならない。心と体を一体化させるのに体をサタン視し、無視し否定して一体化させることはできない。心は体を説得しない限り一体化の道は歩めない。個人の道に於いてそうであるように、家庭であれ社会であれ、国家であれ世界であれ、正しく前進しようと意志すれば、必ずアベル的なものとカイン的なものとに振り分けられていく。しっかりと分別され、アベルとカインに振り分けられれば、カインはアベルを愛し仲保とし屈服し、アベルはカインを、ヤコブが勝利したようにエサウが愛し仲保とし屈服せざるを得ないように歩み寄れば一体化される。一体化されることでしか人間は未来に向けて前進できないし、高みに向かうことはできない。一体化される為に、先ず善悪混ざり合った存在からアベル的なものとカイン的なものに振り分けられなければならない。カインをサタン視して無視することは神様が涙してこられた復帰歴史に対する反逆者で、歴史を後戻りさせようとしている。分派と呼んで完全否定してみたり、異を唱える兄弟を危険視したりする、それ自体がみ旨を受け入れたとは言えないし、そのような立場で神様の心情、御父母様の心情を理解することは永遠にないだろう。

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