2010年8月29日日曜日

青年登山家に学ぶ

一人の青年が最高峰に単独無酸素登頂を挑んでいる。カメラを手にしてその様子を写しながら、映像を見る者は同じ体験をし同じ感情を覚えるかのようになる。人にはそれぞれの人生の路程があるが、一生の体験やそれに伴う感情、意志の持ち方を別の人間が共有することはできない。手記や語りで垣間見ることはできても一緒に歩んで共有することはできない。しかしカメラアングルではあるけれでも登頂制覇という一人の試みを映像を見ながら体験し共有できる。それは凝縮されたひとつの人生を体験させてもらっているかのようだ。いつ会うとも知れない雪崩を恐れ、それでも前に進まなければならず、吹雪に何度も見舞われて視界すら見失う。深い雪に足を取られ、気を付けて足を運ばないと隠されたクレパスに堕ちてしまえばそれで終わりだ。凍傷で大切な指を失うこともありうるだろうし地上の三分の一の酸素では一歩進むことも儘ならない。その映像に釘付けにされながら、人生は精神的高みを目指すひとつの登山と言えるかも知れないと思った。その青年はどうして山に登るのか。番組の終わり頃に、あなたの帰るところは何処ですかと言う問いに対して、少し間を空けてやはり山だと思うと応えている。厳しい山に挑みながらも精神的に受け取るものの中に彼は魂の故郷を見ている。山頂からの景色がどれほど素晴らしくても、景色だけならヘリに乗って山頂辺りから見下ろせばいい。しかし同じ景色でも自分に犠牲を強いて後に出会う景色はその本質を開いてくれる。孤高の位置でその精神的なものを受け取ることができる。その刺激に酔っている。それは受け取った者しかわからない。命を賭けて登った者しかわからない。私達は真の愛を求めて精神の頂に挑んでいる。為に生きることの次元を高めながら、より高次の愛を求めて挑み続ける。命を賭けて制覇した者が精神の高みを味わい酔いしれるように、様々な山頂に挑むように様々な環境圏で、どこまでも為に生きて真の愛に触れた者しかその味わいを知る者はいない。

2010年8月28日土曜日

痛みを考える

旧盆が過ぎ、夏は峠を越えて急に涼しくなり、責めるような暑さは遠ざかったのに、妻に対する責めは相変わらず続く。痛い痛いを何度も何度も口にしながら、一日を生きていく。今日の痛みを終えたら明日の痛みが待っている。明日の痛みを越えた後にも更に次の日も痛みは待っている。痛みを生きることの意味は何だろうか。身体の痛みがどう痛みの感情として魂が味わい、それがどう霊的なものに繋がってどう影響を及ぼすのだろうか。痛みを魂一杯で体験しながら育まれるものは何だろうか。責めを責めとして受け止めることしかできないなら、痛みの本当の意味は知らずに生涯を終えるしかないだろう。しかし知ろうが知るまいが、地上での痛みは必ず天上で報われるはずだ。そうでなければあまりにも切ない。切な過ぎる。恨の想いは恨みとは違う。恨みが目には目をという地上という同じ次元で報われるなら、恨の想いは次元を超えたところで報われる。痛みを受けるなら痛みとして晴らすのではなく、痛みを通して次元を越える手段とする。痛みを受け取りながら心情圏への切符を受け取る。痛みを覚えた者ほど優しさをその魂に育み、癒しを与える存在となれるのはその通りに違いない。それが次元を越えた心情圏で受け取ることが出来た意味だ。肉体を削ることで、自分の本質である自我が求めるところの、相手を気遣う優しさという霊的肉を受け取っている。肉体を犠牲にして霊的なものを受け取る。おそらくそうなのだろう。霊的感性が鈍い無知な現代人の悲劇がそこにある。霊的なものがわからないから、恨みとして地の底へ自我を追い遣っている。人間の本質が求めるものは誰もが忌み嫌うものの中にこそ隠されているのだろう。それを夢や空言だと思うのは、霊的なものがわからないのでそう思うだけで、それこそが本当の現実に違いない。妻も痛みの真っ只中では認識はできないだろう。しかし蕩減という言葉は知っているので、その言葉から導き出される内的な意味を探ろうとはしている。今は彼女が痛みに感謝するその時が来ることを私は信じるしかない。そして彼女を見る私の心の痛みにも私自身が感謝するその時が来ることも信じている。妻は明日も痛みを訴えるだろう。しかし明日の痛みは今日の痛みとは違う表情をしているはずだ。

2010年8月26日木曜日

今日の想い (213)

周りを始終見渡しながらびくびくし、自分や家族と周りの極々限られた事だけを心配している私がいる。この米粒に満たないほどに小さな魂は、時の流れの狭間に消え去って当然だろう。人類の未来を心配し、親なる神様を慰労され、困難な中でこそ幸せを感じられるという御父様は、この小さな魂の御父様だと言い切れるだろうか。為に生きることから逃げている私は御父様と口にすることすらできない。病の妻のことや子供の事でいっぱいいっぱいの私は、明らかに人類の未来や平和や、神様の事情などどうでもいいのだろう。自分にすればあまりの背負った重荷とストレスに吐き気さえ覚えるほどだが、私の外から私の魂を見るなら、私という自己中心の蛇の権化におぞましくて吐き気を覚えるだろう。この魂に平安は訪れない。とぐろを巻いた執着の塊は更に固形化しながら、やがては脆くも崩れ去る。妻の病の問題も、子供の問題も、本当は私があまりにもその事に執着しすぎて流動化を失い、御父様の運勢圏が流れ込めずにいる為かもしれない。汗も流し、涙も流し、血の小便すら流してきたけれど、それが結局自分の為でしかなかったのか。ひょっとしたらそうなのだろうかと思わされた時、申し訳ない思いは虚ろには生じるけれど、それが悔い改めるまでには至っていない。私は死ぬことでしか悟れないし、変わることは出来ないのだろうか。いや死んでも悟れず、変われないのだろうか。私の魂の灯は今正に消え入りそうだ。御父様が直ぐ側に立っておられるのに、私の子だと叫んで両手を広げておられるのに、私は金縛りに会った様に身体が竦んで身動きが取れずにいる。私を置き去りにしたままで時は無情にも流れていく。

2010年8月24日火曜日

今日の想い (212)

痛くて眠れないらしくて背中や左肩の方を暫くさすってやる。疲れたらやめていいからと声をかけるけれど、他人でもないのにいつも遠慮がちなのが気に喰わない。だから返事もせずにさすり続けた。背中の方も肉が削げていて、殆ど骨と皮しか残っていない。それでもさすってやれば少しは落ち着くのだろう。深く眠ることはないが時々寝息を立てている。いつも妻の病に向き合おうとすれば、自分の無力さに打ちひしがれる。壁にかかっている御写真の微笑む御姿に、正面から目を合わせられない。ひたすら彼女の背中だけを見ながら、病の本質的原因を探している。明日への希望に繋がるものを探している。さすりながら骨に当たる手の平の感触から、どう希望を見出したらいいのだろう。ふと、病に苦しんで死んでいった祖父の顔が頭に浮かぶ。希望は霊界にこそ、繋ぐべきなのだろうか。向こう側では痛みから解放されているのだろうか。思い浮かぶのは苦しむ祖父ではなく安らかな祖父なので、きっと痛みからは解放されているのだろう。彼女がどのような状況になり、私がどれほど妻への祈りを引き裂かれようと、それはそれで受け入れる覚悟はしている。しかし今までもそうであったように、受け入れるまでは相当の葛藤が渦巻く。私はどうしたらいいんだろう。私の願いや祈りは御心に沿わないのだろうか。尋ねてみても一瞬や一言でケリが着くような内容ではないことは解っている。何度も何度も尋ねてきた内容だ。自分だけが全ての重荷を背負っているようなこの感情気分は、ある意味傲慢なのかも知れない。神様の重荷を見ようとしない魂の無知から来る傲慢なのかも知れない。この状況下で前向きでいられる知恵は持ち合わせてはいない。明らかに私や妻よりも重荷を背負い、それでも明日を見つめて生きようとしている人に対して、深く頭を下げて知恵を請わなければならない。

2010年8月23日月曜日

今日の想い (211)

死が怖いのではなく、死を恐れる自分が怖いのだ。次から次に現れる困難が問題なのではなく、困難を忌み嫌い逃げようとする自分が問題なのだ。その認識が魂の変革の第一歩だ。私の魂の許容量を遥かに超えた課題を背負いながら、それでも押し潰されずに生きて行けるのを不思議に思うことはないだろうか。そこに霊的な護りがある。霊的な守りが優先順位を付けながら、対処している以外の背負うべき事柄に関しては私の魂に直接的に関わらせようとはしない。先祖に対して生かして頂いて感謝しますという先祖礼拝などは、先祖霊や善霊が本人の許容量を超えた魂の重荷を背負わさないように護ってくれていることに対する感謝だ。であれば私は私で目の前の課題に対し精一杯の努力を惜しまないことだ。私は私の本分を尽くし精誠の限りを尽くすことだ。こんなにやったのに、と言う想いがある。そして、まだまだ足りない、と言う想いがある。一方の想いは自分に流れ注がれている愛や護りへの認識不足という魂の無知から来る。そしてもう一方の想いは溢れんばかりの愛や護りをあらゆる状況下で認識できる魂の目が開いた状態だ。私達は真の父母に直結した根源の自我により、新たな魂を創造しなければならない。堕落的魂から湧き出る堕落的感情様相を否定し、否定し、更に否定しながら、心情を受け取ることができる新しい感情魂が形成されるよう、御父母様を慕って、慕って、更に慕わなければならない。私は生まれ変わる。私は生まれ変わったと言える時が必ず来る。救われているのかいないのか、天国に行けるのか行けないのか、あると言えばあり無いと言えば無いようなそんな夢想的な事としてではなく、今までは眠りについていたのだと断言できるほど目が醒める実感として生まれ変わる時が必ず来る。

今日の想い (210)

全てを捨て、全てを犠牲にしてこの道を歩んで来たという自覚があり、それ故に誇りの感情を味わい前向きに進んでこれたけれども、それ故に別の次元で後悔の感情をも持ち合わせていることも事実だろう。為に生きるというけれど、どれほど自分の中でその言葉を響かせてみてもそれだけでは為に生きることにはならない。全てを捨て全てを犠牲にしてきたことで、この世的な技術であったり能力であったり生活能力も含めて大きなギャップがある。一般的なことを言うなら決してこの世の為になっているようには見えないだろう。目に見える形で世間様のお役に立ってはいないということだ。これがみ旨だと言う自分がいると同時に、創造の形として残らない歩みに無力さを感じている。あるテレビ放送で日本発の女性機長のドキュメントをやっていた。自分の夢を追い続け、様々な壁に突き当たりながらもそれでも可能性を信じて生きていた。機長服に身を包んだ小柄な女性の輝く笑顔に、その誇りがあり自分自身への創造の形があり、更には後輩や後に続く人々の為に生きる喜びがある。為に生きてきた私達は誰よりもその想いが強いはずだと思っているけれど、無情にも形として残らなければ誇りも失いつつある。でも私は決してこの世的な実力を標榜してこなかったことを批判し、後悔している訳ではない。献身して摂理に加担し、この世的な価値観から善しとされるもの全てを失ったとしても、それでも御父母様と共にあることの方を勿論選ぶ。しかしその先には形として残るものも無いし、この世の人達が見上げるものも無いだろう。私の中での価値観を根本からひっくり返さない限り、いつまでもこの世で頭角を現していく者達への羨望の眼差しは消え失せることはない。価値観と言う言葉は同じ次元に留まった中で使われて意味を成すけれど、要するに次元を変えた生を生きることを自分に要求しない限りこの世に後ろ髪を引かれながら生きることになる。私達はそう言う意味で地上界という次元でありながら、次元を上げて生きなければならないし多次元にまたがって生きなければならない。私達は確かに創造している。ただただ御父様にしがみ付き、それで精一杯のようであるし、自分の限られた視界領域ではそれこそ雲を掴むような状況なのかも知れないけれど、それでも新しい世界を創造している。誰もが踏襲できないその道を、逃げずに歩んで来たことそれ自体が、多大な霊的精神的創造なのだ。

2010年8月21日土曜日

感性を目覚めさせる

眠らされたままの感性が私の中に内在している。この宇宙に存在しながら、宇宙への正しい認識と正しい働きかけができないまま、極めて限られた限定的認識と悲観的側面のみを受け取りながら生きている。光を光として受け取れず、光の中で照らし出される存在達の本質部分である霊を認識できないでいる。霊を認識できなければ霊が紡ぎ出す霊の魂部分も受け取れない。人間だけが魂を備え、人間だけが魂の働きとして思考し感情し意志している存在ではなく、人間以上に思考し叡智を備え、人間以上に感情し深い心情を備え、人間以上に創造への意志を差し出す霊の存在が存在する。歴史過程で極めて限定的に彼らと意思を交換しその恩恵を受けることしかできなかったのは、地上界という堕落した次元で堕落的限定的地上的感性しか取り出すことができなかったが故だ。イエス様がそうであられるように、御父様は人間であって人間ではない。明らかに堕落した次元から来られた御方ではない。地上人間には自分に救いが必要であることは理解できるし、救いをもたらす存在を求めてきたことも事実だ。しかし救いをもたらす御方の本質を測り知ることには限界がある。御父様の本質を受け取るためには、御父様が堕落人間に本質を差し出す意志を持っておられなければならず、堕落人間はそれを受け取る手段を教わって行動しなければならない。御父様が肉体をもって地上に来られイエス様の使命を受け継がれたこと、私達に祝福を与えることが御父様の本質を差し出す意志であり、受け取る手段は絶対信仰絶対愛絶対服従だ。御父様とひとつになると言うことは、御父様の本質を受け継ぐということだ。堕落した地上的感性を超えた感性を私の中から目覚めさせ、叡智の存在から叡智を受け取り、本郷の地で受け継がれてきた奥深い心情の遣り取りを相続し、宇宙創造に加担してきた存在から意志を受け取る。私達が天から授かろうとする恩恵は、今の私達の感性や思考で測ることができるものを超越している。

2010年8月20日金曜日

送り盆

丘に向けて一群れの列が上っていく情景を覚えている。子供の目には随分遠くの景色のように思えたけれど、今その場に趣くと丘に向かう小道は目と鼻の先で、そこを歩く人の表情さえ捉えられそうだ。しかし子供の目には黒い列がゆっくりゆっくりと移動していったことしか記憶に無い。でも先頭に担がれたものが祖父の作った樽だと思ったのは覚えているので、詳細は忘れてしまって黒い列の移動だけが印象的な記憶として残っているのかもしれない。その丘の上には焼き場があった。うちの田んぼから、焼き場に向かう葬列は何度か目にしている。葬列が森の中に消えて半時もすれば、白い煙が昇っていく。誰もが農作業の手を休め、腰を起こして暫く眺める。無言のまま眺め、暫くするとまた無言のまま作業を始める。子供の私は恐いのか何なのか良くわからない感情を覚えながら、父も母も大した反応も示さずいつもの様に農作業を続けるのを見て不思議に思った。大人になればこんな感情を抱くことは無いのだろうかと思った。程なく煙は途絶えるが、一帯の微かな臭いは日が暮れるまで留まっていて、いつまでも煙の立ち上る情景が頭から離れない。ある時、同い年のいとこに誘われてその丘に登って見ることにした。それまでその丘に視線を向けることすら避けていたのに、いとこの誘いに拒めない何かを感じたのか一緒に行くことにした。田んぼに挟まれた真っ直ぐな小道を早足で歩いていく。ここで躊躇していたら恐れの感情に押し潰されそうになるから一気呵成にやり遂げようと思った。口に出すことは無いしそんな素振りも見せなかったけれども、競争するように歩くいとこも同じ気持ちだったはずだ。登りに差し掛かると小道は更に細くなり、雨が降った時は麓に流れる水路になるのだろう、道の中央がえぐられていて登りにくい。息が上がって気持ちが発散してくると恐れの感情は次第に消えていく。登りきって木立を抜けたその場所がそうだった。大人の身体がひとつふたつ入るような浅い窪みがあるだけの簡素なものだった。敢えて焼き場と言われなければゴミ捨て場としか思えないだろう。別に立て札があるでもなく焼け残った骨がある訳でもない。しかし登りきって私が最初に目にしたものは浅い窪みではなく、周囲を囲むように実っていた鈴なりの赤いほうずきの実だ。ひょっとして何か見てはならないものを目にするのかという不安をよそに、ほうずきの色鮮やかな赤が最初に目に飛び込んできて私を逆に驚かせた。お盆を過ぎた夏休みも終わりに近い頃だった。ほうずきは鬼灯と書く。当て字にさして意味は無いのだろうけれど、世話になった肉体をこの場で土に返して、迷うことの無いよう鬼灯をかざしながら、お迎えの霊の処まで赴くのだろう。お盆の墓に紙灯篭をかざしてお迎えするように、鬼灯の一枝を手にして帰っていくのだろう。ほうずきの実をひとつずつ戴いて、破れないように指で丁寧に揉みながら、暮れかけた道を集落の明かりを目指して帰っていった。早いもので今年もお盆を送った。暫く連絡していない田舎に、明日にでも電話してみようと思う。

2010年8月18日水曜日

成約勇士

取り巻かれている環境圏事情圏から抜け出せずに、次から次へと襲い掛かる感情の大波に翻弄され、この内的嵐が本当に止むのだろうかと疑いたくなるほど、更なる過酷な現実が立ちはだかる。世界は、私が置かれている境遇以上の困難な環境圏にいる者達の方が大半であろうに、今目の前に立ちはだかる問題に圧倒されて全体が見通せずにいる。しかし、起こるひとつひとつの問題が或る時点で急に発生したように思えるけれども、実は見えなかっただけで、或いは意識しなかっただけで既に内包していた事柄に違いない。自分の内なる世界に既に存在している、今まで曖昧にしていた堕落的な清算すべき事柄のひとつひとつが、目の前の問題として現れている。起こる全ては偶然ではなく必然として現れる。私の対処すべき今生の課題としてひとつひとつ差し出される。意志力を作動させず逃げ腰で問題に対するなら、問題は更に巨大化していくだろう。対処できないと嘆くのではなく、対処して勝利すべく運命付けられているという決意と覚悟を供えれば、その意志こそ霊界の存在を動員させる。この肉を削ろうが魂が砕け散ろうが、骨髄に宿る御父様に繋がった自我さえ護ることができれば、それこそがこの世に生まれ出でた私の意味なのだ。自分の恐れのバリケードを壊して意志することに躊躇してはならず、嘆き苦しみ悲しむ感情様相から逃げてはならない。陸にしがみ付いた平安の位置に御父様がおられるのではなく、波荒れ狂う大海の只中にこそ御父様がおられ、御父様に出会うことができる。その意味で私達は成約の勇士なのだ。闘いの本当の意味を知ってその闘いに殉ずるものが、その称号を天から戴く。

2010年8月17日火曜日

地球を少し考えて見る

宇宙の生成の歴史、取り分け地球生成の歴史と人類の歴史とが全く別物として今日まで流れてきたとはどうしても思えない。人類歴史に於いて内的霊的に積み重ねてきた内容が、そのまま外的な地球生成とその歴史として現れて当然だという思いがある。もう少し踏み込むならば、物質人間が物質地球の成分で出来ており、それは物質人間は物質地球の一部であると言う事ができる。人類が堕落して人間の器官に霊的感性が眠らされ、病に冒されるような要素を持ってしまったと言う事は、地球自体も霊的に死んだ状態であり、更には地球自体が病んでいると言う事はできないだろうか。そればかりか、地球が人類始祖の堕落による決定的なものを地球自体が結実として孕んでおり、更にはカインとアベルの失敗の結実も地球の要素として持っているだろうし、復帰歴史に於ける勝利の果実も負の悪果も地球の内部に持っている。地球生成とその歴史に於いて、全く人類の歴史とは関係が無く、神様が直接的に主管してこられたのであれば、ロマ書八章に記されているような神の子たちの出現や被造物の嘆息の事実はどうも不自然だ。万物も地球も神様の御意そのままに生成されてはいるが、主管してくれる存在が不在だとだけ嘆いていると言うのは、どうも説得力に欠ける。人類の堕落によって主管下にある地球自体も堕落の影響を受けているはずであり、その後の復帰歴史過程の結果それぞれの影響も受けているに違いない。従って地球内部に必ず堕落の結果を見るものがあり、更に人間はその影響を地球から受けているはずである。宇宙を地上的な五感で捉えきれないように、地球内部も地上的な五感でのみ把握できるものではない。内的霊的感性、それも高次の感性で知ることができれば、今の科学の地球認識とはかけ離れた悪魔的なものや神霊的なものが認識されるかも知れない。天国と言えば天を仰ぐし、地の底をどこまでも下っていけば地獄だと言うのが全くの根拠の無いことではなく、それなりの意味を含んでいるはずだ。

2010年8月16日月曜日

今日の想い (209)

紆余曲折の生を無理にも感謝して歩み、嵐の波間で翻弄される感情を揺さぶられるがままに預け、それでも自らの選択をチョイスして、兎に角前に進むことを迫られる。時を止めることもできず流れに従わざるを得ない。平穏な日々が待つ場所に臨むことはもうないのだ。見通す限りどこまでもどこまでも待ち構えている試練は続き、へとへとになって休むことも許されない。御父様の御後を付いて行く路程が、これほどに過酷を極めるものだとはどの食口も想像もしなかったろう。死ねと言われたほうが楽な道を、敢えて生きて死を超える路程を歩まされる。これから臨んで行く路程に比べれば、今までが幼子が抱きかかえられてミルクを宛がえられるような歩みであったことを知らされる。それほどに困難を極める路程が私達の前には待ち構え、立ちはだかっている。成約聖徒としての本分を量られる本当の路程がこれから始まる。真の父母の血統に繋がれた本当の自我を根源とする魂の育成なしに、この道を超えることはできない。今の魂は堕落の自分に根を持つ偽りの魂だ。偽りの魂が本物の振りをして、如何にも御父母様に侍る救われた子女として演じている。しかし私の魂が本物であるかどうかは私自身が良く知っている。新しい魂が、真の父母に繋がる魂が私の中に備わらなければならない。それには新しい魂が産まれる産道を通過しなければならない。今までは母の胎の中で臍の緒に繋がっておれば良かったけれど、暗い過酷な試練の産道を今私達は目の前にしている。覚悟と決意を供えて飛び込む勇気を奮い立たせた者だけが、この産道を通過していく。その過程でどれ程の食口が生き残れるかはわからない。しかしそこを通過しない限り、新しい天と地に住まうことができる人間の魂として再生されることはない。私の根源に於いて繋がる御父様を掴んで、絶対に放さないことだ。

2010年8月15日日曜日

今日の想い (208)

免疫抑制剤の為に抗体が作れず、ウィルスの浸入や体内で深く眠っていたかも知れないウィルスが起こされて帯状疱疹を発症した。最初は注意して見ないと確認できなかった左半身の発疹が、見る見るうちに広がり腫れて赤みを増し、そのうちに水ぶくれ状態に変わってきた。皮膚の表面だけが痛むのかと思ったが神経の炎症も併発しているようで、触れても動かしてもじっとしてても、どういう状態でも痛むらしい。頭の激痛よりましだと本人は言うが、その都度痛みで顔が歪む。特に左腕から肩にかけて腫れはひどく、迷彩服の様な縞模様に皮膚は膨らみ、泥水のような濁った液体で満ちている。症状を見て直ぐに思い浮かんだのは火傷によるケロイドだ。ピカドンで全身火傷を負い、その症状が写されている当時の写真を何度も目にしたことがあるけれど、妻の症状も霊的に見れば同じ火傷だ。おりしも8月6日に頭痛で入院し、全身に痛みが広がった9日に再度入院した。私も広島の出身だけれども彼女もそうで、広島と長崎の日にこう言う状態になったということが、全くの偶然で関係のないことだとはどうも言い切れない。あの審判の日から65年、残った者達が鎮魂の年数を重ねながら今に至っている。しかし全ての魂が恨みを解いたとは言えないだろう。恨みの思いは当時のまま凍結されている。地上に生きている者こそが歴史の清算をすべきだし、彼らの恨みを解いてあげるのも地上で為される。堕落によって愛に満ちるべき地上は恨みに満ちてしまった。悲しいかな恨みの蓄積された大気の海の底を我々は生きている。恨みに生きるのか真の愛に生きるのか、真の愛の実体としての御父母様に繋がり、血統を引き継いだ者としての使命がある。地上を真の愛で満たす使命がある。痛みに対して恨みで対するなら、やはりサタンの血筋を受け継いだ者だと判断されるだろうし、逆に恨みを消化し言い分を天に取り成すなら御父母様の血統圏にある者だと証明できる。この認識で間違っているとは思えないが、どうやって妻に認めさせることができるだろうか。

2010年8月14日土曜日

今日の想い (207)

祝福を受けて韓国に行った日本姉妹の証しに目を通しながら、嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。そしてちょっぴり羨ましく思った。何年前だったろうか。清平での修練会を終え、バスで4時間以上かけて南下しながら与えられた韓国の任地に赴き、訓読大会や姉妹血縁式に参加させて戴いた。最も印象に残っているのが祝福を受けて現地の日本人妻として歩んでいる姉妹達の様子だった。決して開けているとはお世辞にも言えない山中の農村で、教会長の奥さんも日本の姉妹だったが、日本人の気配を感じないほどに韓国農家の嫁として完全に同化している姉妹もいて驚いた。その姑は嫁の自慢ばかりしているらしく、その集落では評判の嫁になっていた。そして夫の暴力に悩み、教会長の奥さんの日本姉妹に泣きながら相談していた姉妹もいた。育った環境も違い、文化背景も違い、言葉も違う異国で相手すら良く知らずに飛び込んで、舅姑の厳しい目に曝されて生きていくことは並大抵のことではない。嫁いだ姉妹達には特別の信仰姿勢が要求される。しかし時を重ね同じ皿に箸を入れ続け、愛が流れ込み同じ心情を分かち合い、短い証しに愛の勝利の花開くのを受け取れるし、深い心情の遣り取りをこの上ない喜びとして、苦労を味わった以上の価値を見出した誇りを見て取れる。同じ日本食口として大きな誇りであり、御父様の愛が国境を越えた証しであり、日本民族が生き延びる道を開拓した開拓者であり、私ならあらゆる称号を与えるだろう。彼女達の前には自然と頭が下がるだろうし、自然と涙も流れる。彼女達以上の信仰の時を重ねながら、余りにも体たらくな過去を恥かしくも思うけれど、それ以上に全体として信仰を立てて下さったことを喜びもし、感謝せずにはおれない。神様が福を与えられて当然なのだ。彼女達が証を立ててくれたことに触発されまた背中を押され、私が直面する今の課題にめげることなく向き合うべきだと思わされた。

2010年8月13日金曜日

今日の想い (206)

珍しく明け方にかけて激しい雷雨が一帯を襲った。雷鳴は鳴り止むことの無く唸り続け、時折激しく轟いて八階建ての頑丈なアパートを振動させる。一度眠ったら深く沈んで起こされるまで意識が戻らない私も、流石に目が覚め朦朧としながらブラインドの隙間から外の様子を探る。既に相当量の雨量が嵩んでいるようで、駐車場一面が川面の様に流れ、駐車された車は浮いているように見える。風は大して無いようだが滝のような雨に窓ガラスは打たれ、激しく音を立てて叩かれているようだ。先日半時間ほどのゲリラ嵐に襲われ、DCエリア一帯の電線がブチブチに引き千切られて停電し、修復を待つのに一週間近くかかったばかりなのに、今日の明け方の雷雨でまたも一帯は大混乱した。停電もさることながらあまりの急速な雨量が嵩んで側溝への排水が滞り、環状線ですら水嵩が腰まで上がるほどで、朝の交通に相当のダメージがあったようだ。これも異常気象と呼べるものなのだろうか、殆どの従業員は遅れてきたけれども取り合えず今日の営業に支障が出なくて良かった。7月の中頃、娘が日本に行った時も前線が近付いて大雨だったようで、田舎に帰るバスが雨による道路の崩落で不通になっていた。恵みの雨と言う様に、本来雨は生命を育み繋ぐ為には無くてはならない自然の恵みだ。御父様が言われるように雷は大気の陽陰が一体化する愛の交わりなら、それに伴う強風や雨は自然の愛の喜びの表れに違いない。大気が声を発し渦巻き、熱を帯び湿度を高めて雨を降らす。地上の生命存在がその恵みを受け取るように、人間も負の要因に専ら意識を当てるのではなく大気の喜びに同参すれば、肉体を統率する生命体に活力を受け取るだろうし、魂も共鳴して自然と同じ感情の昂ぶりを覚え、創造的思考が稲光のように閃くだろう。堕落的な人間の愛の交換の淫靡的なものではなく、周囲が賛美する開放的創造的な愛の在り方がきっと自然の中にはあるはずだ。自然から隔離することで物質的安楽な生活環境を手にした知恵を誇ってきたけれど、これからは自然に共鳴し同参しながら、物質的で自己中心的な指向からの離脱が願われ、精神的で利他的な知恵こそ誇るべき時代だ。

2010年8月12日木曜日

今日の想い (205)

環状線の西からポトマック川南岸に沿って、DC中心部まで伸びるパークウェイがある。片側二車線のこんもりした木立の間を走り続ければ、行政区域やスミソニアンの一群の博物館が立ち並ぶモールの対岸に出る。以前はこのパークウェイの途中から出たエリアに、DC地域に立ち寄られた時の館があった為、何度もこの道路は行き来している。落ち着かぬ思いで往路を走り、安堵の思いや情けない思いで復路を辿った。御呼びがかからなくなって久しいが、この道路を走る時はいつもその感情を伴っている。123号線の出口の表示が見えると、どうしても条件反射の様にブレーキに足がかかってしまう。環状線からパークウェイに入った直ぐは、並んで走るポトマック川との落差はかなりのものだが、対向車線も隔てているし木々で遮られている為走りながらでは確認できない。DC中心部に近付けば近付くほどその落差は縮まり、最初の対岸への橋、キイブリッヂの高架橋をくぐる頃は、とうとうと流れるポトマック川を平行眼線で左に見ながら走っている。夏の緑多い木立に遮られていても、随分早いうち左前方の途切れた緑の間から、ワシントンモニュメントの尖塔の先は確認できる。復路を走れば何箇所か展望台があり、そこからポトマック川の下流に広がるのが見える、緑に包まれたDCの風景が私は好きだ。パークウェイからキイブリッジで対岸に渡るとジョージタウンの通りに出る。決して小奇麗な町並みではないがアメリカならではの趣はある。何件か日本レストランもあって、私が魚を配達していた頃は何処に駐車して運び込めばいいかいつも頭を抱えていた。キイブリッジを遣り過ごしてルーズベルトブリッジを渡るとケネディーセンターに出るが、先回リトルエンジェルスの公演がここで行われ店のお客さんも何人か招待して喜ばれた。ルーズベルトブリッジも遣り過ごすと次はアーリントンブリッジで、ケネディー元大統領や兵士達が眠るアーリントン墓地から対岸のリンカーンメモリアルに通じており、幾つかの橋の中でもモールの建築物に合わせたクラシック調で、シンプルながら気品と重厚感にあふれている。パークウェイはバージニア、マウントバーノンというワシントンの生地まで繋がっており、正式名をジョージワシントンメモリアルパークウェイと呼ばれる。要するにワシントンを始点として名立った大統領の名の付いた記念館、政府関係の建築物、橋梁や道路に繋がっている。それぞれに大統領の名を冠することでアメリカを護るスピリッツが宿っていると言う事ができる。物言わぬ多くの先駆者達がワシントンを見守っている。オバマ大統領は歴代大統領の信任を得て、その舵取りには彼らの想いが組み込まれているのだろうか。

2010年8月11日水曜日

今日の想い (204)

相対者は痛みと闘った。頭は浸入してくるウィルスと闘った。痛みの正体は生命維持器官である脊髄から頭部を護る頭部精鋭部隊が、ウィルスとの熾烈な攻防戦により生じるものだった。本人は痛みさえなくなればと痛みを忌み嫌い遠ざけようとするけれど、痛みを取るのか生命を取るのかと言うところまで来ていた事を痛みでのた打ち回っている間は理解しようとはしない。もともと低体温であり不審物の浸入を容易に許してしまうようで、菌に感染すると重い症状が出やすかった。さらに彼女は移植による拒絶反応を抑える為に、免疫システムを弱める薬剤を毎日投与している。白血球などの免疫力は非情に弱い。今回の一連の彼女の症状から、抵抗力を弱められた身体の病の進行は早かったが、最後の砦だけは死守しようとする半端の無い意志力を見せられた。本人が意識できない領域で、彼女の生命維持の為に熾烈な戦いを辞さない意志存在が確実にあり、その決意と覚悟ゆえに乗り越えることができたことを感謝しなければならない。私達が入り込み、棲んでいるこの身体が、どれ程統率され、肉体としては最高度の完成体として、その維持の為に何千何億という高次の霊が働きかけていることに対して、住まわせて頂いている私は畏敬の念で仰ぎ見るのでなければ彼らに讒訴されて当然だろう。そうであるなら、この身体を使って自己中心的な一生を送るなら、私の身体を維持する存在に対してどれ程負債があるか。その存在が犠牲を供えて私の身体を維持しているように、私はみ旨の為に犠牲になることを願い、それでこそ彼らは報われるのだ。痛みは苦の感情を引き起こし、苦の感情は痛みに対する疑問を思考に於いて問いかける。感覚が感情に繋がり、感情から思考を紡ぎださせる。肉体が魂に作用し、魂が思考を発動させる。痛みとして受け取る感覚が私の本質なのか、或いは引き起こされる感情が私の本質なのか、それとも思考する私が本質なのか。思考を超えた本心こそ私の本質だろう。良心を形状とし、本心を性相とする自我こそ私の本質だろう。感覚に作用するこの世界で、感情の海に揉まれながら、辿り着く思考を求めることで私の本質を捜し求め見極めようとしている。私の根源である神様と、一心一体の境地に至るまで、探求の人生が続く。私の根源を探す為にこの地上界に生きている。周りから見れば悲惨極まりない人生であっても、紆余曲折の多いほど、感情の激しい高まりがあればあるほど、思考に働く根源を求めるベクトルは大きいのだろう。求めに応じて神様は私に表出して下さる。爆発的な心情として現れてくださる。

2010年8月9日月曜日

今日の想い 203

第一のアダムは堕落したエバとひとつになってしまった。第二のアダムは相対としてのエバを迎えることができなかった。第三のアダムは理想相対のエバを迎えられた。アダムは生命の木と例えられることに対して、エバは善悪知るの木と例えられる。エバがどう自分を扱い、扱われるかが善と悪の分かれ目だと言う事だ。創世記、失楽園の部分にだけ触れて想起されることは、このエバの思慮の無さは一体何なんだろうと言うことだ。おそらくそう感じるのは私だけではないはずだ。霊界からの先生の証しを通しても、なるほどエバはそうならざるを得なかったと思うより、戒めの戒めに対する重さというものが当の本人に本当にわかっていたのだろうかと思えるほど、エバの無分別さが受け取れる。現代人のように極めて地上的受肉を為された存在とは明らかに違い、霊的領域への比重が強いだろうから、現代人の三角関係のような状況に当てはめてイメージすることには無理があるが、それにしても軽々しい感じは否めない。おそらくルーシェルが我々の想像を絶する知恵者でありエバに死を覚悟させるほどの存在であったということだろう。堕落の結果は途方も無い犠牲をもたらしたけれど、逆説的に捉えればそれ程の犠牲に値する愛の価値があるということでもある。善悪知るの木エバは何億倍もの破壊的原子爆弾でもあり、逆にもうひとつの宇宙を創造できるほどの力を備えてもいる。そう思うと、勝利された御母様は人類に取っても宇宙に取っても、勿論御父様に取っても神様に取っても、かけがえの無い存在であられることがわかる。御父様を御父様と呼べる私は、御母様が勝利されることで庶子であっても御父様の子であることを御母様に認知して戴いたと言うことだ。御母様が認めずに、御父様と呼べる私が存在することはありえないだろう。御母様が私の御母様としておられるけれど私には産みの母もいる。産みの母を責めることができないように、人類始祖としてのエバを責めることは人類はしてはならないのかも知れない。

ルーシェル

ルーシェルは生まれつきのサタンではない。結果としてサタンになったけれども、神様の創造された存在であって悪が存在の中にもともと入り込んでいた訳ではない。人間の心(魂)はその作用に於いて知情意の三機能を発揮する。人間の肉身は知情意の感応体として真美善の価値を追求する。善とは創造目的成就の為に意志する行為と行為の結果を言うのであり、存在自体が善だ悪だと決め付けることはできない。ルーシェルは悪の行為と結果をもたらした。悪の行為と結果をもたらしたルーシェルの意志に働きかけたものが何かというと、愛の減少感だ。愛の減少感故に、すなわち愛を満たす為に願いに反して意志したことが悪の行為と結果になった。ここで考えなければならないことは神様はルーシェルに戒めを与えてはいない。アダムとエバに戒めは与えられた。ルーシェルが愛の減少感からエバに対するようになった時、死を覚悟してまでより深くエバを誘惑するようになったと講論には記されているので、神に反し、創造目的に反することであることはわかっていたはずだ。しかしそれでも戒めを与えられたのはあくまでアダムとエバだ。戒めを護る責任はルーシェルではなくアダムとエバにある。神様は霊的万物界の天使としての創造本質上、そうなることがわかっておられたかも知れない。それでも人間アダムとエバを神様と同じ位置に立たせるために愛の試練を乗り越えることを願われた。戒めを護り愛の試練を乗り越えることで、結果的にルーシェルの誘惑は愛をより愛らしくするための創造目的に加担したことになったのではないだろうか。ルーシェルを罪の張本人とされながら、神様は隠された心情のどこかに、実のところ堕落はルーシェルの責任ではなく戒めを護らなかった私の責任だとアダムとエバがルーシェルを擁護する声を聞きたかったのではないだろうか。あからさまな堕落天使界に対する非難を轟々と浴びせる裏側に、アダムとエバのその一言を待っておられたような気がしてならない。カインに対するアベルもそうであり、復帰歴史に於ける全てのカイン的位置に対するアベル的位置もそのように思える。原理原則の神様である以前に心情の神様、親なる神様であることを思えば、長男を𠮟りつけながらその真意は次男の改心を願われておられたのだ。最近御父様がルーシェルはアダムとエバの兄弟だと言及されたことの意味が、おぼろげにわかるような気がする。

2010年8月8日日曜日

今日の想い 202

照りつける太陽の熱射に身を曝しながら、皮膚を炙り血液は煮え滾り、頭の中にまで容赦なく熱は進入してくる。後頭部からも脳天からも尋常ではない汗が流れてきて、熱による眩暈で四肢の統率が効かず、倒れそうな身体をやっとのことで支えている。熱に翻弄されながらも、私の魂は生きていると叫んでいる。この夏を生き、熱の中に生き、夏の霊や熱の霊と一つのゲームを対戦している。どちらが本質を見抜き、どちらが見えざる正体を暴かれるかの対戦をしている。その意味では人生の全ての局面は闘いでありギャンブルなのかも知れない。生死を賭けた霊的対戦を勝ち抜きながら、高次の領域に飛翔していく。数理の本質を見抜かれた御父様は、理性界に於ける数理の霊と対戦されて勝利された。数理の本質を私達に示されても、数理に相対する決意も覚悟も示さずに、向き合うことも無い者達にはわかろうはずが無い。取り敢えずは向こうから対戦を挑む存在達に、立ち向かうことを決意すればいい。私を蝕もうとするあらゆる環境圏にある存在達は、別の意味に於いては私に利益を差し出している。夏の暑さでバテもするけれど、逆に夏の暑さがなければ生命機能へのマイナス影響も出てくる。夏の暑さで汗をかくことで腎機能への負担を減らしている。私の妻の様に汗をかかないことが腎機能を酷使させることになる。そのように環境圏にある全ての存在達は、両極面を備えている。夏の暑さという対戦相手にジワジワと責められ、私の内側に侵入せさることで、その本質が姿を現す。暑さで汗だくになりへとへとになりながらも、外的には腎機能を助けて保護し、内的には魂の、とりわけ感情魂の解放を喚起させる。科学万能教育が教えるような、自然環境が只の機械的無機質的システムではなく、森羅万象の一つ一つに喜怒哀楽を備えた魂存在を見ることができる。その認識がどれほど自然や宇宙を活き活きと受け取ることができ、私の魂生活に思考的感情的潤いをもたらしてくれることか。彼らが本質を人類の前に現したとき、今の世の機械文明が幼稚に映るほどに、想像もできない創造生活が私達を待ち受けている。

2010年8月7日土曜日

今日の想い 201

アメリカで生きていく為に最も必要なことが何かというと、それはコミュニケートする英語を理解することでも、生活習慣や文化を理解することでもなく、しっかりと私を主張することだ。この国で一番暮らしにくいと感じている人種はおそらく日本人だろう。謙虚が美徳とされる生活環境で育ち、物言わず状況を察してくれるのを待っていても、誰も救いの手を差し伸べはしない。日本人の感覚からすれば幾らなんでも言いすぎだろうと思われるくらいが丁度いい。主張することは確かに疲れる。慣れもあるのだが主張すること自体に感情を入れてしまうから疲れる。日本での日常の遣り取りで、自分の意見を強く押し出すことなどそうないし、そう言う場面があるとすれば不条理を押し付けられて感情を害した時だ。従って主張することにどうしても感情移入しやすい。感情的に主張するならそれは主張ではなく感情的になってわめいているに過ぎず、それで相手が納得することは先ず無い。如何に感情を入れず理に適って説き伏せるかが問われている。この主張する知恵と力、そして決意を備えてこそアメリカ社会を泳いでいくことができる。その必要性は日常のあらゆる場面で遭遇する。いろんな価値観を持ち、様々な文化背景を持つ多民族混合国家がアメリカだ。グローサリーストアで買い物するにも、レストランで食事するにも、そして病院や役所での応対にしても、何一つ自分が想定する平均的サービスと言う概念をこの国は持ってはいない。何処に行ってもとにかく並ぶと言う様な機械的システムはあるが、基本的に相手との交渉によって受けられるサービスは違ってくると思っていたほうがいい。この国で生活すれば強くなることは間違いない。先ず耐えることを学ばされ、そして主張することを学ばされる。日本食口なら、日本での活動に際して忍耐することをとことん教育されているから、アメリカで生活を始めてもさして苦にはならないだろう。しかし病を患ってドクターオフィスに連絡するにも病院に行くにも、保険の有無から始まり支払い等の様々な交渉事や選択事への遣り取りまで、体調も気分も優れない状態で行わなければならないのは余りにも酷過ぎるように思う。この国は死に際に於いてさえサインを当の本人に求めて何の負い目も感じることはない。そこまで感情を排除してどこまでもシステマチックに管理されることで、他民族が一緒に生活できる、或る意味ONE FAMILY UNDER GODの表面的枠組みを創り上げたと言える。負の面ばかりを捉えがちだが、冷たく見えるアメリカもクリスチャン国家アメリカとしての根底に流れるものが他民族を受け入れている。その意味でこの国の良心は今も生き続けている。

ひとつの認識としての地上生から霊界へ

朝の光の中で目覚めることや、どんなに質素であれ口にするものが必ず用意されること。地上で生きる為の空気を思う存分呼吸でき、喉を潤す水が手の届くところにいつもあること。熱いことを熱いと感じ、冷たいことを冷たいと感じる。色合いそれぞれをその色として受け取り、色鮮やかな花々をそれぞれに美しいと感じる。万物であれ人間であれ、愛する対象が目の前に存在し、想いや言葉を伝えることができ受け取ることができること。この地上生活での取るに足りないと思える事柄のひとつひとつが、どれ程有難く幸せな体験であるかと言う事を、肉体を失って初めて思い知る。そうとも知らずに流れる日々に身を預けたまま、貴い生に対する何の感情も抱かず過ごした自分を、胸を叩いて後悔するときが必ず来る。肉体を土に返すと、身体を身体として主管していた生命体には、地上生でのあらゆる経験が記憶として刻まれている。綺麗な河を越えて彼岸に移ると、私自身が生きてきた時と場所すべてに一気に広がったように、記憶のひとつひとつをパノラマ映像でも見るような体験をする。意識していたことも、忘れていた無意識領域のことも、生涯の全てを疲れて眠るまで体験する。眠りに着くかのように思える体験は、実は自分の記憶体が抜け落ちて去っていく体験だ。そのように肉体の死を経験した者は次に記憶を刻んだ体の死を経験する。自分に取って忘れてはならない濃縮された記憶だけを残して、記憶体を記憶の河に流されると欲を持つ魂の自分が残る。食べたい飲みたい見たい触れたい、名誉欲財欲そして権力欲、肉体が無ければ叶えられない全ての地上的欲望を捨て去って、自分を浄化する期間を通らなければ霊界に進むことはできない。欲するものを手にすることができる喜びや、日常のことがかけがえの無いものであることを地上で悟るなら、与えられることへの感謝を、提供してくれた全ての存在に対して伝えたいという想いに昇華させれば、肉体を失ったとしても、欲する思いで生きるのではなく感謝の思いで生きる自分は残る。自己中心の思いで生きるのではなく、為に生きる自分は残る。霊界で生きる霊人体はそうして成長していく。与えたいと衝動する心情が自分の本質であると、与えることの為に受け取ることに比重を置かれた地上生を生きて学ぶことで、感性も現実性もこの世のものとは比べ物にならない霊界と言う心情世界で、自由に生き自由に活動する愛の感性を地上で育てている。四大心情圏を骨子としながら愛の感性を地上で育てている。

2010年8月6日金曜日

緊急入院 (2)

体力の限界を迎えても、それでも数十秒毎に襲い掛かる激痛に体を硬直させざるを得ない。目に見えない何かが彼女を拷問にかけている。見えない何かが薄ら笑いを浮かべて、何度も何度も彼女に対して鞭を振り上げる。妻は一晩中この痛みと闘った。私は一晩中不安と闘った。モルヒネを何本打っただろうか。副作用としての吐き気を強くもよおすのみで、痛みを薄らぐ役目は殆どしない。私が妻の立場だったら、泣き叫んで神様に談判するだろう。関わる霊に対して悪態の限りを曝し、脅しの言葉すら撒き散らすだろう。しかし彼女の意識は常に外的な事柄に向かう。若い時の苦労が体を弱めたことから始まって、高血圧やリジェクションのための薬の影響、今回の事がもし感染であるとするならどういう形で菌が体内に混入したのかと言う様に、痛い思いを何度も経験し、これ程に不合理な人生を生きながら、自分だけがどうしてここまで打たれるのかと言う発想はしない。あくまで外的要因に視線は向けられる。朝を迎えて、妻がやっと浅い眠りに着いた時、院内のチャペルに足を運んだ。簡単な祭壇を前にして頭をうなだれ、彼女の痛みを取り払って欲しいと率直に祈った。神様を賛美し、み言に触れるような立派な祈りではなく、ただ懇願した。霊的なことの認識がなされず、外的要因を挙げて痛みを受け続ける妻は、それ故に好きなように霊的存在から翻弄されている。その現状を報告すれば、神様は妻を悟れない現実主義者と冷ややかな視線を送られるだろうか。それとも可哀想だと思われるだろうか。仕方の無いことだと見て取られるだろうか。祈りながらそう問いかけると、私の体を通して神様は涙された。ただ涙されて妻の立場を説明されることもなく、良いとか悪いとか判断されることもなかった。救急病棟の妻の病室に向かいながら、もはや彼女に病の意味を諭すようなことはすまいと思った。ただただ隣にいて、手を握り背中をさすり、労いの視線と励ましの言葉をかけることにした。どういう認識であれ、彼女は彼女として現実に向き合い、私ではない彼女こそが痛みに向き合って闘っている。

緊急入院

一週間続いている頭痛が急に激しくなったと言うので夜中0時を回って救急に連れて行くことにした。近くの病院にするか移植を受けた大学病院にするかを先ず悩んだ。大学病院は四、五十分はかかる。しかし移植への影響も検査するだろうから大学病院に行った方が二度手間は省けるだろう。後頭部を押さえて痛がる妻を見ればこちらも焦って、近くの方が、とも思ったが大学病院に決めた。痛さの為に体を硬直させ、顔をしかめる妻を横目にすれば不安は覚えるが判断は間違ってはいないと自分に言い聞かせる。それでも制限速度を遥かにオーバーさせ、遮る前の車に苛立ちは覚えていたから、不安な自分と確信すべき自分との間で揺れていたのだろう。救急に着いたけれどもいつもと按配が違う。あちこちで病棟が工事されていて救急の入り口がわからない。今は全てのことが苛立ちの対称になる。警備員に尋ね、病棟の一群を一周してやっと入り口がわかった。妻を下ろして離れた地下駐車場に車を駐車して救急の入り口まで帰って来る。運ぶ足がこれほど重くなることを久しく味わっていない。ボルチモアのダウンタウンにあるこの救急には黒人の外来が多いし、明らかに行き場を失ったホームレスも内外にたむろしている。病院側も何か体に不具合があると言われれば追い出すわけにはいかないのだろう。粗末な衣服の、見るからに薄汚れた人々が待合室の簡素なソファーを占領している。妻は隅の椅子で頭を抱えたままうなだれている。薄暗い照明に映るこの待合室の風景がさらに私の不安を募らせる。必要以上に冷房を効かせた待合室で、来るたび毎に同じ気分に追い込まれ、名前が呼ばれるのを身動きひとつせずに固まったまま待ち続けることを強いられる。この位置で何一つ希望的出口から漏れる光は見出せない。妻の為に何もしてやれない無力な自分を味わい続けることを耐えるしかない。孤独な位置を耐え、神様も善霊も誰も関与できない位置で、私の覚悟を差し出す儀式が粛々と執り行われる。

2010年8月5日木曜日

今日の想い 200

今日は今日の踏み込むべき課題が目の前にある。昨日には昨日の課題が、そして明日には今日を踏まえて新たな課題が目の前に準備されるだろう。生きている以上、そこから逃げる訳にはいかない。多種多様な試練を、辛かったり酸っぱかったりといろんな味わいを差し出すけれど、決して味わうに心地よいものは多くはない。甘いものであれば飛びつくけれど、殆どが様々な苦さを含んだ課題だ。甘いものは味わったその場で終わりだが、苦いものには薬を口にするような働きがある。心魂を調整し、無意識の中にある眠った心魂の力を、より深みから意識の上に上らせる働きがある。酸いも苦味も味わい尽くすことで開ける世界が確実にある。ましてや、神様と一体となられた御父母様と共に歩んでいる事実を意識するなら、明らかに対面している課題を消化することで、願いに応える自分になれる。消化すべき苦々しいこの課題に取り組むことで、ひとつまたひとつと御父母様の心情圏に深入りするのであり、御父母様を根源とする新たな心魂の力を受け取れる。だから果敢に取り組むべきであり、常に前進すべき私であって当然だと言い切ることだ。御父様の言動や行動を見ればわかるように、決して後に引かれるようなことは無かった。私達は自分の内面を反省することはあっても、手にかけた事柄に対して決して悔いたり残念に思うようなことがあってはならない。国の為であれ世界の為であれ、御父様の願いに沿ってその想いをみ旨としての行動に強く強く落とし込み、浸透させたなら、かならずその念は結果を残すのであり、消え入って消滅してしまうことは絶対ない。その確信を持って対面する今日の課題に取り組む。今日の今日を一生懸命生きれば、明日の事は明日自身が思い患うだろう。私達は前進する限りに於いて天国生活を為しているのであり、不信を抱き不平不満の思いに負けて後退するのであれば地獄の中で呻いている。天国生活を為すも、地獄に呻くも、私の意識にかかっている。

2010年8月3日火曜日

今日の想い 199

陽が登り始めて、背戸から裏山に通じるなだらかな小道を上っていく。歩く足元まで露草は延びていて、夜中の内に熱が引くことで結露した露が長靴や作業ズボンの裾を湿らす。露草の上で、朝の陽を受けて宝石の様に輝く露も、身に受ければ衣服を濡らして邪魔臭い。夏の裏山は深い緑に覆われていて、青い空を背景にすればなだらかな深緑の膨らみが優しく思えるけれど、緑の茂みに足を踏み入れると子供の背丈も或る笹が容赦なく顔や腕を傷つける。足元もよく注意しないと地を這う草に足を取られ、木の根っこに蹴躓く。そう言えばこの前、草に隠れた蛇を踏みそうになって血の気が引いて凍りついた。それを思い出して、今日の足が重いのはそのせいにしたいと思った。田の草取りを母に頼まれていて、日が明けると直ぐに向かった母を、後から追う。母は既に田に入って作業をすすめているはずだ。名も無いこの小さな山を越えた所にうちの田は広がっている。東西に引き伸ばしたようなこの山に上って尾根伝いに西へ向かい、子供の足で十四、五分も歩けばうちの田が見えてくる。上った山の斜面の反対側を一気に駆け下り、日陰で苔むした粗末な盛り土に座る小さな墓石を過ぎれば畦道に出る。母は腰を伸ばして一瞬私の方を見遣ると、再び腰をかがめて草取りに専念し始めた。ゆったりした作業ズボンを捲り上げながら、母が作業をしている田の反対側に周り長靴を畦に脱ぎ捨てると、私も田の中に入っていった。冷たく柔らかい泥の感覚が心地よい。最近妙な感情が頻繁に意識の上に上ってきて、じわじわと私を追い詰めてきている。空を見上げて美しいと感じながらも空の果てへの疑問が私を不安にさせる。仕事の後の夕餉の憩いのひと時も、死に際して全ては消え失せると思えばその恐怖で喜びを喜びとして受け取れない。今笑っている祖父も死に、母も死に、そして父も死ぬ。皆がばらばらになり、皆が消え失せる。そのさだめを思うと全てが空しい。恐ろしいほど空しい。そうすると周りの全ての環境や、毎日の起こる出来事全てが空しく思える。不安に埋もれない為にひたすら作業に専念して、今取りあえず心を正常に保つ為には、夢や理想を見つけることでも喜び楽しみを味わうことでもなく、ひたすら目の前の事に専念して思考を止め全てを忘れ去ることだ。日が落ちて暮れかかり母の声が届く。作業を終えても、作業の達成感のみを心に広げるようにして、母に私のこの病が気付かれぬように振舞うことだけだ。最近、子供の頃の在りし日の私の心模様がしばしば思い出される。その時の何とも言えない不快感を味わわされる。妻の事や子供の事、不安な事柄の断片に昔の私がリンクして重なる。私は今生に、この不安と戦うために誕生した。あらゆる不安に打ち勝ちながら、次なる強い魂へのバトンタッチを私の宿命として受けている。今日も不安と戦った。次々と襲い掛かる口きかぬ不安の化け物と戦った。

2010年8月2日月曜日

私の宇宙と言う芸術作品

この目をして光を認識しているようだけれど、光そのものを見ているのではなく光によって反射される存在を目にしている。反射される物質の無い宇宙空間では光が通過しても認識することは出来ない。私達は周囲に色とりどりの存在を反射されたものとして目にしているけれど、存在を認識しているのではなく光を認識しようとしている。存在を目にしながら光を認識しようとしている。存在を目にするだけでなく認識しようと思えば、光に反射されて目に届くことだけに満足してしまうと認識することはできない。事実、私達は何一つ本当の意味での認識には至っていない。科学の分野でいろんな存在に対するいろんな研究がなされてきたけれど、専ら地上的な側面に関する外的な研究のみで、思考の光に照らして受け取るものや、感情の光に照らして受け取るものまで、謂わばその存在の内的霊的なことに関する研究が為されて来たわけではない。人間から霊的感性が遠ざけられて久しい。地上的物質的感性を益々鋭くさせながら、霊的感性の芽が自分の中に備わっていることさえ忘れているし、霊的なものを否定してさえいる。芸術は本来、内的霊的深みを芸術作品に表しながら内的霊的高みに人間の魂を誘うものを言う。その作品からそれが受け取れず、目に優しく耳に心地よいだけのものを芸術とは言わない。芸術こそが霊的感性を失った現代人に存在の本質を垣間見せる。或る存在を描こうとし、或る事柄や生き様を譜面に乗せようとする、その意思こそが霊性のひとつひとつを芽吹かせる。書いてもいいし、描いてもいい。歌にしてみてもいいし、いろんな表現方法で表現しようとすることで様々な存在を認識することに向かおうとしている。存在が扉を開いて私の思考に働きかけ感情に語りかけるようになる。そのような生を生きてこそ人間は死亡圏から生命圏に移っていく。一方で人間を導いてきた宗教圏が無かったなら芸術は地上に現れることは無かっただろう。芸術は宗教圏の申し子だ。高名な画家や音楽家の作品のみが芸術ではない。彼らの芸術創造を通して内的霊的高みへの喚起を呼び起こされるなら、私の周囲の存在や起こる全ての事柄が、甘受と感謝を基調とする私の創造意志を通して、次元の高みに持ち上げられる。私の環境が私の人生が、ひとつの私的宇宙という芸術作品を創り上げようとしている。その宇宙の中に太陽としての御父母様がおられるだろうし、いろんな出会いや出来事が私の中で昇華されて色とりどりの森羅万象になっている。毎日が同じように繰り返されるのではなく、今日の家族の今日しか見せない顔を見合わせながら、一期一会の瞬間瞬間に思考を受け取り思考を働かせ、感情を受け取り感情を働かせて、人生の彩りを重ねながら私の宇宙に取り込んでいる。