2010年8月9日月曜日

ルーシェル

ルーシェルは生まれつきのサタンではない。結果としてサタンになったけれども、神様の創造された存在であって悪が存在の中にもともと入り込んでいた訳ではない。人間の心(魂)はその作用に於いて知情意の三機能を発揮する。人間の肉身は知情意の感応体として真美善の価値を追求する。善とは創造目的成就の為に意志する行為と行為の結果を言うのであり、存在自体が善だ悪だと決め付けることはできない。ルーシェルは悪の行為と結果をもたらした。悪の行為と結果をもたらしたルーシェルの意志に働きかけたものが何かというと、愛の減少感だ。愛の減少感故に、すなわち愛を満たす為に願いに反して意志したことが悪の行為と結果になった。ここで考えなければならないことは神様はルーシェルに戒めを与えてはいない。アダムとエバに戒めは与えられた。ルーシェルが愛の減少感からエバに対するようになった時、死を覚悟してまでより深くエバを誘惑するようになったと講論には記されているので、神に反し、創造目的に反することであることはわかっていたはずだ。しかしそれでも戒めを与えられたのはあくまでアダムとエバだ。戒めを護る責任はルーシェルではなくアダムとエバにある。神様は霊的万物界の天使としての創造本質上、そうなることがわかっておられたかも知れない。それでも人間アダムとエバを神様と同じ位置に立たせるために愛の試練を乗り越えることを願われた。戒めを護り愛の試練を乗り越えることで、結果的にルーシェルの誘惑は愛をより愛らしくするための創造目的に加担したことになったのではないだろうか。ルーシェルを罪の張本人とされながら、神様は隠された心情のどこかに、実のところ堕落はルーシェルの責任ではなく戒めを護らなかった私の責任だとアダムとエバがルーシェルを擁護する声を聞きたかったのではないだろうか。あからさまな堕落天使界に対する非難を轟々と浴びせる裏側に、アダムとエバのその一言を待っておられたような気がしてならない。カインに対するアベルもそうであり、復帰歴史に於ける全てのカイン的位置に対するアベル的位置もそのように思える。原理原則の神様である以前に心情の神様、親なる神様であることを思えば、長男を𠮟りつけながらその真意は次男の改心を願われておられたのだ。最近御父様がルーシェルはアダムとエバの兄弟だと言及されたことの意味が、おぼろげにわかるような気がする。

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