2010年8月3日火曜日

今日の想い 199

陽が登り始めて、背戸から裏山に通じるなだらかな小道を上っていく。歩く足元まで露草は延びていて、夜中の内に熱が引くことで結露した露が長靴や作業ズボンの裾を湿らす。露草の上で、朝の陽を受けて宝石の様に輝く露も、身に受ければ衣服を濡らして邪魔臭い。夏の裏山は深い緑に覆われていて、青い空を背景にすればなだらかな深緑の膨らみが優しく思えるけれど、緑の茂みに足を踏み入れると子供の背丈も或る笹が容赦なく顔や腕を傷つける。足元もよく注意しないと地を這う草に足を取られ、木の根っこに蹴躓く。そう言えばこの前、草に隠れた蛇を踏みそうになって血の気が引いて凍りついた。それを思い出して、今日の足が重いのはそのせいにしたいと思った。田の草取りを母に頼まれていて、日が明けると直ぐに向かった母を、後から追う。母は既に田に入って作業をすすめているはずだ。名も無いこの小さな山を越えた所にうちの田は広がっている。東西に引き伸ばしたようなこの山に上って尾根伝いに西へ向かい、子供の足で十四、五分も歩けばうちの田が見えてくる。上った山の斜面の反対側を一気に駆け下り、日陰で苔むした粗末な盛り土に座る小さな墓石を過ぎれば畦道に出る。母は腰を伸ばして一瞬私の方を見遣ると、再び腰をかがめて草取りに専念し始めた。ゆったりした作業ズボンを捲り上げながら、母が作業をしている田の反対側に周り長靴を畦に脱ぎ捨てると、私も田の中に入っていった。冷たく柔らかい泥の感覚が心地よい。最近妙な感情が頻繁に意識の上に上ってきて、じわじわと私を追い詰めてきている。空を見上げて美しいと感じながらも空の果てへの疑問が私を不安にさせる。仕事の後の夕餉の憩いのひと時も、死に際して全ては消え失せると思えばその恐怖で喜びを喜びとして受け取れない。今笑っている祖父も死に、母も死に、そして父も死ぬ。皆がばらばらになり、皆が消え失せる。そのさだめを思うと全てが空しい。恐ろしいほど空しい。そうすると周りの全ての環境や、毎日の起こる出来事全てが空しく思える。不安に埋もれない為にひたすら作業に専念して、今取りあえず心を正常に保つ為には、夢や理想を見つけることでも喜び楽しみを味わうことでもなく、ひたすら目の前の事に専念して思考を止め全てを忘れ去ることだ。日が落ちて暮れかかり母の声が届く。作業を終えても、作業の達成感のみを心に広げるようにして、母に私のこの病が気付かれぬように振舞うことだけだ。最近、子供の頃の在りし日の私の心模様がしばしば思い出される。その時の何とも言えない不快感を味わわされる。妻の事や子供の事、不安な事柄の断片に昔の私がリンクして重なる。私は今生に、この不安と戦うために誕生した。あらゆる不安に打ち勝ちながら、次なる強い魂へのバトンタッチを私の宿命として受けている。今日も不安と戦った。次々と襲い掛かる口きかぬ不安の化け物と戦った。

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