2010年8月23日月曜日

今日の想い (210)

全てを捨て、全てを犠牲にしてこの道を歩んで来たという自覚があり、それ故に誇りの感情を味わい前向きに進んでこれたけれども、それ故に別の次元で後悔の感情をも持ち合わせていることも事実だろう。為に生きるというけれど、どれほど自分の中でその言葉を響かせてみてもそれだけでは為に生きることにはならない。全てを捨て全てを犠牲にしてきたことで、この世的な技術であったり能力であったり生活能力も含めて大きなギャップがある。一般的なことを言うなら決してこの世の為になっているようには見えないだろう。目に見える形で世間様のお役に立ってはいないということだ。これがみ旨だと言う自分がいると同時に、創造の形として残らない歩みに無力さを感じている。あるテレビ放送で日本発の女性機長のドキュメントをやっていた。自分の夢を追い続け、様々な壁に突き当たりながらもそれでも可能性を信じて生きていた。機長服に身を包んだ小柄な女性の輝く笑顔に、その誇りがあり自分自身への創造の形があり、更には後輩や後に続く人々の為に生きる喜びがある。為に生きてきた私達は誰よりもその想いが強いはずだと思っているけれど、無情にも形として残らなければ誇りも失いつつある。でも私は決してこの世的な実力を標榜してこなかったことを批判し、後悔している訳ではない。献身して摂理に加担し、この世的な価値観から善しとされるもの全てを失ったとしても、それでも御父母様と共にあることの方を勿論選ぶ。しかしその先には形として残るものも無いし、この世の人達が見上げるものも無いだろう。私の中での価値観を根本からひっくり返さない限り、いつまでもこの世で頭角を現していく者達への羨望の眼差しは消え失せることはない。価値観と言う言葉は同じ次元に留まった中で使われて意味を成すけれど、要するに次元を変えた生を生きることを自分に要求しない限りこの世に後ろ髪を引かれながら生きることになる。私達はそう言う意味で地上界という次元でありながら、次元を上げて生きなければならないし多次元にまたがって生きなければならない。私達は確かに創造している。ただただ御父様にしがみ付き、それで精一杯のようであるし、自分の限られた視界領域ではそれこそ雲を掴むような状況なのかも知れないけれど、それでも新しい世界を創造している。誰もが踏襲できないその道を、逃げずに歩んで来たことそれ自体が、多大な霊的精神的創造なのだ。

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