2010年8月14日土曜日

今日の想い (207)

祝福を受けて韓国に行った日本姉妹の証しに目を通しながら、嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。そしてちょっぴり羨ましく思った。何年前だったろうか。清平での修練会を終え、バスで4時間以上かけて南下しながら与えられた韓国の任地に赴き、訓読大会や姉妹血縁式に参加させて戴いた。最も印象に残っているのが祝福を受けて現地の日本人妻として歩んでいる姉妹達の様子だった。決して開けているとはお世辞にも言えない山中の農村で、教会長の奥さんも日本の姉妹だったが、日本人の気配を感じないほどに韓国農家の嫁として完全に同化している姉妹もいて驚いた。その姑は嫁の自慢ばかりしているらしく、その集落では評判の嫁になっていた。そして夫の暴力に悩み、教会長の奥さんの日本姉妹に泣きながら相談していた姉妹もいた。育った環境も違い、文化背景も違い、言葉も違う異国で相手すら良く知らずに飛び込んで、舅姑の厳しい目に曝されて生きていくことは並大抵のことではない。嫁いだ姉妹達には特別の信仰姿勢が要求される。しかし時を重ね同じ皿に箸を入れ続け、愛が流れ込み同じ心情を分かち合い、短い証しに愛の勝利の花開くのを受け取れるし、深い心情の遣り取りをこの上ない喜びとして、苦労を味わった以上の価値を見出した誇りを見て取れる。同じ日本食口として大きな誇りであり、御父様の愛が国境を越えた証しであり、日本民族が生き延びる道を開拓した開拓者であり、私ならあらゆる称号を与えるだろう。彼女達の前には自然と頭が下がるだろうし、自然と涙も流れる。彼女達以上の信仰の時を重ねながら、余りにも体たらくな過去を恥かしくも思うけれど、それ以上に全体として信仰を立てて下さったことを喜びもし、感謝せずにはおれない。神様が福を与えられて当然なのだ。彼女達が証を立ててくれたことに触発されまた背中を押され、私が直面する今の課題にめげることなく向き合うべきだと思わされた。

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