2010年8月11日水曜日
今日の想い (204)
相対者は痛みと闘った。頭は浸入してくるウィルスと闘った。痛みの正体は生命維持器官である脊髄から頭部を護る頭部精鋭部隊が、ウィルスとの熾烈な攻防戦により生じるものだった。本人は痛みさえなくなればと痛みを忌み嫌い遠ざけようとするけれど、痛みを取るのか生命を取るのかと言うところまで来ていた事を痛みでのた打ち回っている間は理解しようとはしない。もともと低体温であり不審物の浸入を容易に許してしまうようで、菌に感染すると重い症状が出やすかった。さらに彼女は移植による拒絶反応を抑える為に、免疫システムを弱める薬剤を毎日投与している。白血球などの免疫力は非情に弱い。今回の一連の彼女の症状から、抵抗力を弱められた身体の病の進行は早かったが、最後の砦だけは死守しようとする半端の無い意志力を見せられた。本人が意識できない領域で、彼女の生命維持の為に熾烈な戦いを辞さない意志存在が確実にあり、その決意と覚悟ゆえに乗り越えることができたことを感謝しなければならない。私達が入り込み、棲んでいるこの身体が、どれ程統率され、肉体としては最高度の完成体として、その維持の為に何千何億という高次の霊が働きかけていることに対して、住まわせて頂いている私は畏敬の念で仰ぎ見るのでなければ彼らに讒訴されて当然だろう。そうであるなら、この身体を使って自己中心的な一生を送るなら、私の身体を維持する存在に対してどれ程負債があるか。その存在が犠牲を供えて私の身体を維持しているように、私はみ旨の為に犠牲になることを願い、それでこそ彼らは報われるのだ。痛みは苦の感情を引き起こし、苦の感情は痛みに対する疑問を思考に於いて問いかける。感覚が感情に繋がり、感情から思考を紡ぎださせる。肉体が魂に作用し、魂が思考を発動させる。痛みとして受け取る感覚が私の本質なのか、或いは引き起こされる感情が私の本質なのか、それとも思考する私が本質なのか。思考を超えた本心こそ私の本質だろう。良心を形状とし、本心を性相とする自我こそ私の本質だろう。感覚に作用するこの世界で、感情の海に揉まれながら、辿り着く思考を求めることで私の本質を捜し求め見極めようとしている。私の根源である神様と、一心一体の境地に至るまで、探求の人生が続く。私の根源を探す為にこの地上界に生きている。周りから見れば悲惨極まりない人生であっても、紆余曲折の多いほど、感情の激しい高まりがあればあるほど、思考に働く根源を求めるベクトルは大きいのだろう。求めに応じて神様は私に表出して下さる。爆発的な心情として現れてくださる。
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