2010年8月8日日曜日

今日の想い 202

照りつける太陽の熱射に身を曝しながら、皮膚を炙り血液は煮え滾り、頭の中にまで容赦なく熱は進入してくる。後頭部からも脳天からも尋常ではない汗が流れてきて、熱による眩暈で四肢の統率が効かず、倒れそうな身体をやっとのことで支えている。熱に翻弄されながらも、私の魂は生きていると叫んでいる。この夏を生き、熱の中に生き、夏の霊や熱の霊と一つのゲームを対戦している。どちらが本質を見抜き、どちらが見えざる正体を暴かれるかの対戦をしている。その意味では人生の全ての局面は闘いでありギャンブルなのかも知れない。生死を賭けた霊的対戦を勝ち抜きながら、高次の領域に飛翔していく。数理の本質を見抜かれた御父様は、理性界に於ける数理の霊と対戦されて勝利された。数理の本質を私達に示されても、数理に相対する決意も覚悟も示さずに、向き合うことも無い者達にはわかろうはずが無い。取り敢えずは向こうから対戦を挑む存在達に、立ち向かうことを決意すればいい。私を蝕もうとするあらゆる環境圏にある存在達は、別の意味に於いては私に利益を差し出している。夏の暑さでバテもするけれど、逆に夏の暑さがなければ生命機能へのマイナス影響も出てくる。夏の暑さで汗をかくことで腎機能への負担を減らしている。私の妻の様に汗をかかないことが腎機能を酷使させることになる。そのように環境圏にある全ての存在達は、両極面を備えている。夏の暑さという対戦相手にジワジワと責められ、私の内側に侵入せさることで、その本質が姿を現す。暑さで汗だくになりへとへとになりながらも、外的には腎機能を助けて保護し、内的には魂の、とりわけ感情魂の解放を喚起させる。科学万能教育が教えるような、自然環境が只の機械的無機質的システムではなく、森羅万象の一つ一つに喜怒哀楽を備えた魂存在を見ることができる。その認識がどれほど自然や宇宙を活き活きと受け取ることができ、私の魂生活に思考的感情的潤いをもたらしてくれることか。彼らが本質を人類の前に現したとき、今の世の機械文明が幼稚に映るほどに、想像もできない創造生活が私達を待ち受けている。

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