2010年8月23日月曜日

今日の想い (211)

死が怖いのではなく、死を恐れる自分が怖いのだ。次から次に現れる困難が問題なのではなく、困難を忌み嫌い逃げようとする自分が問題なのだ。その認識が魂の変革の第一歩だ。私の魂の許容量を遥かに超えた課題を背負いながら、それでも押し潰されずに生きて行けるのを不思議に思うことはないだろうか。そこに霊的な護りがある。霊的な守りが優先順位を付けながら、対処している以外の背負うべき事柄に関しては私の魂に直接的に関わらせようとはしない。先祖に対して生かして頂いて感謝しますという先祖礼拝などは、先祖霊や善霊が本人の許容量を超えた魂の重荷を背負わさないように護ってくれていることに対する感謝だ。であれば私は私で目の前の課題に対し精一杯の努力を惜しまないことだ。私は私の本分を尽くし精誠の限りを尽くすことだ。こんなにやったのに、と言う想いがある。そして、まだまだ足りない、と言う想いがある。一方の想いは自分に流れ注がれている愛や護りへの認識不足という魂の無知から来る。そしてもう一方の想いは溢れんばかりの愛や護りをあらゆる状況下で認識できる魂の目が開いた状態だ。私達は真の父母に直結した根源の自我により、新たな魂を創造しなければならない。堕落的魂から湧き出る堕落的感情様相を否定し、否定し、更に否定しながら、心情を受け取ることができる新しい感情魂が形成されるよう、御父母様を慕って、慕って、更に慕わなければならない。私は生まれ変わる。私は生まれ変わったと言える時が必ず来る。救われているのかいないのか、天国に行けるのか行けないのか、あると言えばあり無いと言えば無いようなそんな夢想的な事としてではなく、今までは眠りについていたのだと断言できるほど目が醒める実感として生まれ変わる時が必ず来る。

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