2010年8月7日土曜日

今日の想い 201

アメリカで生きていく為に最も必要なことが何かというと、それはコミュニケートする英語を理解することでも、生活習慣や文化を理解することでもなく、しっかりと私を主張することだ。この国で一番暮らしにくいと感じている人種はおそらく日本人だろう。謙虚が美徳とされる生活環境で育ち、物言わず状況を察してくれるのを待っていても、誰も救いの手を差し伸べはしない。日本人の感覚からすれば幾らなんでも言いすぎだろうと思われるくらいが丁度いい。主張することは確かに疲れる。慣れもあるのだが主張すること自体に感情を入れてしまうから疲れる。日本での日常の遣り取りで、自分の意見を強く押し出すことなどそうないし、そう言う場面があるとすれば不条理を押し付けられて感情を害した時だ。従って主張することにどうしても感情移入しやすい。感情的に主張するならそれは主張ではなく感情的になってわめいているに過ぎず、それで相手が納得することは先ず無い。如何に感情を入れず理に適って説き伏せるかが問われている。この主張する知恵と力、そして決意を備えてこそアメリカ社会を泳いでいくことができる。その必要性は日常のあらゆる場面で遭遇する。いろんな価値観を持ち、様々な文化背景を持つ多民族混合国家がアメリカだ。グローサリーストアで買い物するにも、レストランで食事するにも、そして病院や役所での応対にしても、何一つ自分が想定する平均的サービスと言う概念をこの国は持ってはいない。何処に行ってもとにかく並ぶと言う様な機械的システムはあるが、基本的に相手との交渉によって受けられるサービスは違ってくると思っていたほうがいい。この国で生活すれば強くなることは間違いない。先ず耐えることを学ばされ、そして主張することを学ばされる。日本食口なら、日本での活動に際して忍耐することをとことん教育されているから、アメリカで生活を始めてもさして苦にはならないだろう。しかし病を患ってドクターオフィスに連絡するにも病院に行くにも、保険の有無から始まり支払い等の様々な交渉事や選択事への遣り取りまで、体調も気分も優れない状態で行わなければならないのは余りにも酷過ぎるように思う。この国は死に際に於いてさえサインを当の本人に求めて何の負い目も感じることはない。そこまで感情を排除してどこまでもシステマチックに管理されることで、他民族が一緒に生活できる、或る意味ONE FAMILY UNDER GODの表面的枠組みを創り上げたと言える。負の面ばかりを捉えがちだが、冷たく見えるアメリカもクリスチャン国家アメリカとしての根底に流れるものが他民族を受け入れている。その意味でこの国の良心は今も生き続けている。

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