2010年8月26日木曜日
今日の想い (213)
周りを始終見渡しながらびくびくし、自分や家族と周りの極々限られた事だけを心配している私がいる。この米粒に満たないほどに小さな魂は、時の流れの狭間に消え去って当然だろう。人類の未来を心配し、親なる神様を慰労され、困難な中でこそ幸せを感じられるという御父様は、この小さな魂の御父様だと言い切れるだろうか。為に生きることから逃げている私は御父様と口にすることすらできない。病の妻のことや子供の事でいっぱいいっぱいの私は、明らかに人類の未来や平和や、神様の事情などどうでもいいのだろう。自分にすればあまりの背負った重荷とストレスに吐き気さえ覚えるほどだが、私の外から私の魂を見るなら、私という自己中心の蛇の権化におぞましくて吐き気を覚えるだろう。この魂に平安は訪れない。とぐろを巻いた執着の塊は更に固形化しながら、やがては脆くも崩れ去る。妻の病の問題も、子供の問題も、本当は私があまりにもその事に執着しすぎて流動化を失い、御父様の運勢圏が流れ込めずにいる為かもしれない。汗も流し、涙も流し、血の小便すら流してきたけれど、それが結局自分の為でしかなかったのか。ひょっとしたらそうなのだろうかと思わされた時、申し訳ない思いは虚ろには生じるけれど、それが悔い改めるまでには至っていない。私は死ぬことでしか悟れないし、変わることは出来ないのだろうか。いや死んでも悟れず、変われないのだろうか。私の魂の灯は今正に消え入りそうだ。御父様が直ぐ側に立っておられるのに、私の子だと叫んで両手を広げておられるのに、私は金縛りに会った様に身体が竦んで身動きが取れずにいる。私を置き去りにしたままで時は無情にも流れていく。
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