2010年8月29日日曜日

青年登山家に学ぶ

一人の青年が最高峰に単独無酸素登頂を挑んでいる。カメラを手にしてその様子を写しながら、映像を見る者は同じ体験をし同じ感情を覚えるかのようになる。人にはそれぞれの人生の路程があるが、一生の体験やそれに伴う感情、意志の持ち方を別の人間が共有することはできない。手記や語りで垣間見ることはできても一緒に歩んで共有することはできない。しかしカメラアングルではあるけれでも登頂制覇という一人の試みを映像を見ながら体験し共有できる。それは凝縮されたひとつの人生を体験させてもらっているかのようだ。いつ会うとも知れない雪崩を恐れ、それでも前に進まなければならず、吹雪に何度も見舞われて視界すら見失う。深い雪に足を取られ、気を付けて足を運ばないと隠されたクレパスに堕ちてしまえばそれで終わりだ。凍傷で大切な指を失うこともありうるだろうし地上の三分の一の酸素では一歩進むことも儘ならない。その映像に釘付けにされながら、人生は精神的高みを目指すひとつの登山と言えるかも知れないと思った。その青年はどうして山に登るのか。番組の終わり頃に、あなたの帰るところは何処ですかと言う問いに対して、少し間を空けてやはり山だと思うと応えている。厳しい山に挑みながらも精神的に受け取るものの中に彼は魂の故郷を見ている。山頂からの景色がどれほど素晴らしくても、景色だけならヘリに乗って山頂辺りから見下ろせばいい。しかし同じ景色でも自分に犠牲を強いて後に出会う景色はその本質を開いてくれる。孤高の位置でその精神的なものを受け取ることができる。その刺激に酔っている。それは受け取った者しかわからない。命を賭けて登った者しかわからない。私達は真の愛を求めて精神の頂に挑んでいる。為に生きることの次元を高めながら、より高次の愛を求めて挑み続ける。命を賭けて制覇した者が精神の高みを味わい酔いしれるように、様々な山頂に挑むように様々な環境圏で、どこまでも為に生きて真の愛に触れた者しかその味わいを知る者はいない。

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