2010年8月21日土曜日

感性を目覚めさせる

眠らされたままの感性が私の中に内在している。この宇宙に存在しながら、宇宙への正しい認識と正しい働きかけができないまま、極めて限られた限定的認識と悲観的側面のみを受け取りながら生きている。光を光として受け取れず、光の中で照らし出される存在達の本質部分である霊を認識できないでいる。霊を認識できなければ霊が紡ぎ出す霊の魂部分も受け取れない。人間だけが魂を備え、人間だけが魂の働きとして思考し感情し意志している存在ではなく、人間以上に思考し叡智を備え、人間以上に感情し深い心情を備え、人間以上に創造への意志を差し出す霊の存在が存在する。歴史過程で極めて限定的に彼らと意思を交換しその恩恵を受けることしかできなかったのは、地上界という堕落した次元で堕落的限定的地上的感性しか取り出すことができなかったが故だ。イエス様がそうであられるように、御父様は人間であって人間ではない。明らかに堕落した次元から来られた御方ではない。地上人間には自分に救いが必要であることは理解できるし、救いをもたらす存在を求めてきたことも事実だ。しかし救いをもたらす御方の本質を測り知ることには限界がある。御父様の本質を受け取るためには、御父様が堕落人間に本質を差し出す意志を持っておられなければならず、堕落人間はそれを受け取る手段を教わって行動しなければならない。御父様が肉体をもって地上に来られイエス様の使命を受け継がれたこと、私達に祝福を与えることが御父様の本質を差し出す意志であり、受け取る手段は絶対信仰絶対愛絶対服従だ。御父様とひとつになると言うことは、御父様の本質を受け継ぐということだ。堕落した地上的感性を超えた感性を私の中から目覚めさせ、叡智の存在から叡智を受け取り、本郷の地で受け継がれてきた奥深い心情の遣り取りを相続し、宇宙創造に加担してきた存在から意志を受け取る。私達が天から授かろうとする恩恵は、今の私達の感性や思考で測ることができるものを超越している。

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