2010年8月7日土曜日

ひとつの認識としての地上生から霊界へ

朝の光の中で目覚めることや、どんなに質素であれ口にするものが必ず用意されること。地上で生きる為の空気を思う存分呼吸でき、喉を潤す水が手の届くところにいつもあること。熱いことを熱いと感じ、冷たいことを冷たいと感じる。色合いそれぞれをその色として受け取り、色鮮やかな花々をそれぞれに美しいと感じる。万物であれ人間であれ、愛する対象が目の前に存在し、想いや言葉を伝えることができ受け取ることができること。この地上生活での取るに足りないと思える事柄のひとつひとつが、どれ程有難く幸せな体験であるかと言う事を、肉体を失って初めて思い知る。そうとも知らずに流れる日々に身を預けたまま、貴い生に対する何の感情も抱かず過ごした自分を、胸を叩いて後悔するときが必ず来る。肉体を土に返すと、身体を身体として主管していた生命体には、地上生でのあらゆる経験が記憶として刻まれている。綺麗な河を越えて彼岸に移ると、私自身が生きてきた時と場所すべてに一気に広がったように、記憶のひとつひとつをパノラマ映像でも見るような体験をする。意識していたことも、忘れていた無意識領域のことも、生涯の全てを疲れて眠るまで体験する。眠りに着くかのように思える体験は、実は自分の記憶体が抜け落ちて去っていく体験だ。そのように肉体の死を経験した者は次に記憶を刻んだ体の死を経験する。自分に取って忘れてはならない濃縮された記憶だけを残して、記憶体を記憶の河に流されると欲を持つ魂の自分が残る。食べたい飲みたい見たい触れたい、名誉欲財欲そして権力欲、肉体が無ければ叶えられない全ての地上的欲望を捨て去って、自分を浄化する期間を通らなければ霊界に進むことはできない。欲するものを手にすることができる喜びや、日常のことがかけがえの無いものであることを地上で悟るなら、与えられることへの感謝を、提供してくれた全ての存在に対して伝えたいという想いに昇華させれば、肉体を失ったとしても、欲する思いで生きるのではなく感謝の思いで生きる自分は残る。自己中心の思いで生きるのではなく、為に生きる自分は残る。霊界で生きる霊人体はそうして成長していく。与えたいと衝動する心情が自分の本質であると、与えることの為に受け取ることに比重を置かれた地上生を生きて学ぶことで、感性も現実性もこの世のものとは比べ物にならない霊界と言う心情世界で、自由に生き自由に活動する愛の感性を地上で育てている。四大心情圏を骨子としながら愛の感性を地上で育てている。

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