2010年8月6日金曜日

緊急入院

一週間続いている頭痛が急に激しくなったと言うので夜中0時を回って救急に連れて行くことにした。近くの病院にするか移植を受けた大学病院にするかを先ず悩んだ。大学病院は四、五十分はかかる。しかし移植への影響も検査するだろうから大学病院に行った方が二度手間は省けるだろう。後頭部を押さえて痛がる妻を見ればこちらも焦って、近くの方が、とも思ったが大学病院に決めた。痛さの為に体を硬直させ、顔をしかめる妻を横目にすれば不安は覚えるが判断は間違ってはいないと自分に言い聞かせる。それでも制限速度を遥かにオーバーさせ、遮る前の車に苛立ちは覚えていたから、不安な自分と確信すべき自分との間で揺れていたのだろう。救急に着いたけれどもいつもと按配が違う。あちこちで病棟が工事されていて救急の入り口がわからない。今は全てのことが苛立ちの対称になる。警備員に尋ね、病棟の一群を一周してやっと入り口がわかった。妻を下ろして離れた地下駐車場に車を駐車して救急の入り口まで帰って来る。運ぶ足がこれほど重くなることを久しく味わっていない。ボルチモアのダウンタウンにあるこの救急には黒人の外来が多いし、明らかに行き場を失ったホームレスも内外にたむろしている。病院側も何か体に不具合があると言われれば追い出すわけにはいかないのだろう。粗末な衣服の、見るからに薄汚れた人々が待合室の簡素なソファーを占領している。妻は隅の椅子で頭を抱えたままうなだれている。薄暗い照明に映るこの待合室の風景がさらに私の不安を募らせる。必要以上に冷房を効かせた待合室で、来るたび毎に同じ気分に追い込まれ、名前が呼ばれるのを身動きひとつせずに固まったまま待ち続けることを強いられる。この位置で何一つ希望的出口から漏れる光は見出せない。妻の為に何もしてやれない無力な自分を味わい続けることを耐えるしかない。孤独な位置を耐え、神様も善霊も誰も関与できない位置で、私の覚悟を差し出す儀式が粛々と執り行われる。

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