2010年8月13日金曜日

今日の想い (206)

珍しく明け方にかけて激しい雷雨が一帯を襲った。雷鳴は鳴り止むことの無く唸り続け、時折激しく轟いて八階建ての頑丈なアパートを振動させる。一度眠ったら深く沈んで起こされるまで意識が戻らない私も、流石に目が覚め朦朧としながらブラインドの隙間から外の様子を探る。既に相当量の雨量が嵩んでいるようで、駐車場一面が川面の様に流れ、駐車された車は浮いているように見える。風は大して無いようだが滝のような雨に窓ガラスは打たれ、激しく音を立てて叩かれているようだ。先日半時間ほどのゲリラ嵐に襲われ、DCエリア一帯の電線がブチブチに引き千切られて停電し、修復を待つのに一週間近くかかったばかりなのに、今日の明け方の雷雨でまたも一帯は大混乱した。停電もさることながらあまりの急速な雨量が嵩んで側溝への排水が滞り、環状線ですら水嵩が腰まで上がるほどで、朝の交通に相当のダメージがあったようだ。これも異常気象と呼べるものなのだろうか、殆どの従業員は遅れてきたけれども取り合えず今日の営業に支障が出なくて良かった。7月の中頃、娘が日本に行った時も前線が近付いて大雨だったようで、田舎に帰るバスが雨による道路の崩落で不通になっていた。恵みの雨と言う様に、本来雨は生命を育み繋ぐ為には無くてはならない自然の恵みだ。御父様が言われるように雷は大気の陽陰が一体化する愛の交わりなら、それに伴う強風や雨は自然の愛の喜びの表れに違いない。大気が声を発し渦巻き、熱を帯び湿度を高めて雨を降らす。地上の生命存在がその恵みを受け取るように、人間も負の要因に専ら意識を当てるのではなく大気の喜びに同参すれば、肉体を統率する生命体に活力を受け取るだろうし、魂も共鳴して自然と同じ感情の昂ぶりを覚え、創造的思考が稲光のように閃くだろう。堕落的な人間の愛の交換の淫靡的なものではなく、周囲が賛美する開放的創造的な愛の在り方がきっと自然の中にはあるはずだ。自然から隔離することで物質的安楽な生活環境を手にした知恵を誇ってきたけれど、これからは自然に共鳴し同参しながら、物質的で自己中心的な指向からの離脱が願われ、精神的で利他的な知恵こそ誇るべき時代だ。

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