2011年7月31日日曜日

今日の想い 349

私自身がそうであり、おそらく多くの日本食口もそうだろうと思うのは、信仰を恐れの感情下に置くきらいがある。さらに言えば、信仰に自分の意志責任を持ちこみたくない。それは多分に隷属的なものになりやすいということだ。恐れの感情から自分の意志責任を放棄し隷属的な私になるというのと、絶対信仰から自分の意志を差出し絶対服従を供えるのとは似て非なるものだ。日本での歩みを振り返ってみると、中心から下りてくる指示や言動や態度の中に、既に隷属的に受け取ることを当然とするものが含まれていたのは事実だろう。しかし私達が復帰された時点で信仰の本質を備えられるステージにいたかと言うとそれはない。だからそういう期間を通過せざるを得なかったと言うことはできるし、それが僕の僕や僕のステージだと言えるのかも知れない。全財産を差出し更に出来る限りの借金までして支えることを、願いに応えたいという想いから自分の意志責任として行動する食口も少なからずいるだろう。とにかく言われるままに献金すべきであり献金ありきだという断定や方法論は別として、御父様もその高い基準に相対しようとされるだろうし、それが母の国としての姿として見ておられるはずだ。でも下に目をやると多くの者は付いて行けずに取り残され、取り残された者としての様々な感情が渦巻いている。その感情熱が体制や責任者や、果ては御家庭や御父様やみ言葉にまで対象範囲を広げて検証し更に批判している。それは光の当たる部分と影の部分が分かれてきたと言えるようだ。光が強くなればなるほど影は濃くなる。しかし必ず影が消える時を迎える。それは正午定着の位置に来た時だ。私の中の良心(良神)が正午定着の位置にくると私の中の影の部分が消え去るように、全体でその位置を迎える。今の時点では光が当たる部分は影の部分があることを認めざるを得ないだろう。無視することはできない。表裏一体であれば影の部分から学んでこそ、正午定着の位置を正しく迎えることができる。反逆者、批判者として一蹴することは光の当たる己の位置を否定することにもなりかねない。一体化という意味を本質的に理解してひとつになれば、統一の群れは新たなステージに立てる。その過程で絶対信仰、絶対愛、絶対服従とひとつになる私を、誰もが取り戻せるはずだ。

霊的感性

人間は感覚世界に住んでいるけれども、もし耳もなく目もなければ感覚世界は沈黙と闇の世界に等しい。だからと言って感覚世界が沈黙と闇の世界だとは言えない。霊界についても同じことが言えるのであって、霊的感性が備わっていない理由で霊界がないと断定するのは正しくない。霊界は確実に存在している。実は人間として魂の活動、思考感情意志(知情意)の活動を為している以上、霊界へ触手を伸ばしながら地上生活を生きている。ただ霊界を認識する程には触手が完成していない、霊界認識の霊的感覚器官が未完成にあると言える。霊界は地上世界以上の現実感を備えた多次元に亘る世界だけれども、五感への依存が強すぎる現代人に於いては、より繊細でもありより鮮明でもある霊的色彩感覚を知覚することはできない。ではその霊的感性を備えるにはどうしたらいいのかと問う場合、先ず誤解として生じることは肉的五感で感じる世界と同じような別の世界がもう一つあり、それが霊界だと思っていることに拠る。どうしても霊的感性を五感と同じような別の感性だと思ってしまうから外的な方法で備えようとする。霊界は内的世界だ。内的方法に拠らなければ霊的感性は備えられない。内的という言い方が理解できないなら、宗教的という言い方に変えてもいいかも知れない。宗教的なものへの関与の方が私にとっては重要で、地上的物質的な関与は私にとっては影のようなものだと言えるほど帰依していれば、それは霊的感性を育む土壌が十分出来ていると言える。地上的なものにどっぷり浸かり、食物の享受のような地上愛(そういう言い方が許されるなら、、)を受けはしても、物質的対象によって生じる愛は霊的なものに導かないし、対象がより精神的なものであるときにも満たされる愛、深い内的体験に留まる愛が霊的感性を育み、霊性を備えた人間を創り出す。

2011年7月28日木曜日

自由を考える

全体主義という言葉がある。サタン側国家としての三国同盟、日独伊が全体主義だ。そして講論にこうある。この制度のもとにおける自由は、個人が主張し享受できる権利ではなく、全体の前に捧げなければならない一つの義務であり、また犠牲として定義されるのである。ここだけを見る限りかつての教会の体質に良く似ていると思うのは私だけではないはずだ。民族国家を全体と取るか教会を全体と取るかの違いであって、個人の自由はなかったと言える部分も教会には確かにあった。その観点に勢いを得て青春を返せと叫ぶのかもしれないけれど、それには更なる重要な観点が抜けている。信仰の自由という自由だ。私達は信仰の自由というところの個人の自由を優先し、他の個人的自由を信仰の自由に捧げたと言える。よって誰かが教会を退いて教会の体質批判をするのであれば、信仰の自由より他の個人的自由を優先したのであり、内的霊的自由より外的感覚的自由の享受を取ったのであり、内的霊的なものが人間の主体であることを否定したということになる。もし脱会した理由が教理にあって批判するなら、教理を正しいと思った自分の落ち度を先ず自覚すべきで、そこに蓋をして教会をとやかく言うべきではないだろう。自由自由と口にするものに限って自由の意味を理解していないし、自分の中に正しい自由の概念はないようだ。私は内的霊的自由存在であると言える人間本来の自我の在り様により近い自由概念を、食口個人それぞれに於いても、或いは教会という全体に於いても把握しきれない時期が流れてきた。内的霊的自由が把握できた分だけ、私の中に取り入れたみ言葉は生命を得て生き生きと私に働きかけてくる。或る意味教会の全体主義的な自由への枷(かせ)をはめられることで、内的霊的自由を獲得する道を歩んできたのが今までの路程であったと言える。内的感性の育成、霊的感性の萌芽と育成はこの内的霊的自由の度合いによって生育度は異なってくるが、それは確実に個人にも全体にも備わっている。認識できないだけのことだ。私達の中に育まれてきたもの、教会として全体の中に育んできたものを決して軽々しく見るべきではない。それは御父様が勝利されて私達にもたらしてこられたものへの霊的な軽視だ。

今日の想い 348

日本の食口は精誠を捧げ、周りから見れば無理難題を押し通してきた。そしてその結果としてのシワ寄せをいろんな形で見ている訳だけれど、勿論ああすべきだったこうすべきだったと、過去を検証して意見を述べることも出来るが、しかしそれはどうしても批判に陥りやすい。過去は背にしているのであって、留まることを許されず今でも前に進まなければならない状況で、特に責任ある立場では立ち止まって考える余裕等ないはずだ。御父様に指示を戴いた天のみ旨だと意識すれば意識するほど、こけることは出来ないし立ち止まれないという使命感と切迫感で一杯一杯に違いない。今、日本が摂理に対してどれ程の緊張状態にあるのか定かではないが、或いはひょっとして緊張が続きすぎた為に緊張の糸は伸び切ってしまっているのかも知れない。過去に積み上げたもので今を凌いでも、今日に種を撒かない日が続くなら明日を見ない日が確実にやってくる。種を撒ける状態に無いという悲観が暗雲の中から出れないように私達を包んでいるなら、それこそがサタン圏から脱しきれない意識状態だと言えるだろう。とにかく何かやっていれば条件となり何とかなるだろうと言うような、思慮のない幻想的楽観ではなくて、明快な輪郭を持ったビジョンが見出せる自信を踏まえて、種を撒く土壌を準備しなければならない。種を撒くまでの土壌作りが、形の無いものを形に仕上げていく創造過程の基としての内的霊的創造だと言える。種を撒いてからが昼の神様の仕事なら、種を撒くまでの一切は夜の神様の仕事だろう。私の中の夜の神様を動員してこそ悲観を超えた創造、新しい形へと動いていく。日本がどう立ち上がるかは、統一の群れが神様と共にあり、本物かどうかを大きく証しする試金石に違いない。今まで私達の霊は御父母様という胎の中でまどろんでいた。しかしいつまでもまどろみ続け加護の中に留まり続けるわけには行かない。子供が思春期を越えて自我を自覚するように、統一の群れが第二の御父様となるべく大洋に漕ぎ出している。

2011年7月27日水曜日

今日の想い 347

私も広島の出身であり妻も広島の出身だ。マッチングの時はそれを偶然の出来事のように捉え、さしてその意味を問うことは長い間しなかった。でも起こる事柄は全てに於いて必然であり偶然などないという立場に立つなら、これも何か意味があるはずだと思うようになった。妻は別の場所で復帰されたから当時の広島教会も知らないし、広島で教会生活をしたわけでもない。しかし私は何度かここに書いたように、下宿しながら広島の高校に在学している時に友達から紹介されたのがきっかけで通うようになった。献身生活を始めたのも勿論広島教会だ。当時の教会は原爆ドームからほんの二、三十メートル東へ歩いたところにある、元病院の木造二階建てを借り受けて教会にし、兄弟みんなそこで寝泊りしていた。実は島病院というこの病院が爆心地で、その真上四百メートル上空で原子爆弾は爆発した。ようするに炸裂光が第二の太陽光のように輝いたその真下で、当時のそれを下から眺めるような姿勢で横になって所狭しと寝起きしていたことになる。時間軸を外せば、第二の太陽が人も万物も大気も全て焼き尽くし、その廃墟の中心にみ言葉を戴く教会が立つという構図になる。今話せば面白いネタになる霊的現象には事欠かなかったし(それに関しては随分前の記事で)、その意味を問うことも伝道に大いに役立ったと思うが、敢えて爆心地に教会が位置していた必然の意味を問うことは誰もしなかった。広島を一瞬で地獄絵図に変えてしまった瞬間大量殺戮並びに大量拷問は、恨みや悲痛さえ感情の表に出せないほど凄惨を極めたが、他の惨事がそうであるようにこれもそうならざるを得なかった霊的事情が備わってのことだと言うことはわかっている。しかしそれは原理で説明されて論理として理解できるのであって、それを感情が納得するには時間が掛かる。私の中に広島を抱えている以上その感情に責任がある。広島が世界のヒロシマであることは日本を出ればよくわかる。アメリカで自分の出身がヒロシマだと言えば殆どの人は饒舌だった言葉を失って暫くたじろぐ。前はそれが嫌で日本の西側とだけ説明していたが、敢えて避けずにはっきりヒロシマと言うべきだろう。屍を積み上げその上に私が存在し立っているからだ。ヒロシマの犠牲ゆえに私が存在している。御父様の心情や事情に少しでも通じた者であればその時の恨みを開放してくれるはずだという期待感が、犠牲にあった人達の霊の想いだ。爆心地に教会を持ってこさせたのも少なからず霊の想いが関わっている。勿論その想いに引き摺られ沈むのではなく、私がより御父母様に繋がり因縁を築こうとすることで霊の想いも引き上げられ、結果として恨みを開放することになるし、彼らもそれを切に望んでいるはずだ。しかし更なる霊的事実としては公的犠牲になった霊達の殆どはその時の恨みはあるとしても、犠牲を供えた明るさで光り輝いている。広島と同じように長崎も犠牲の地になったけれども、天主教を奉ずる彼らが犠牲が恨みとして残るなら、イエス様がもたらした愛自体を空しいものとしなければならなくなる。霊的愛の勝利の光に彼らは照らされている。今年も8月6日がやってくる。あの悲惨な印象は街からも人からも年を経るごとに薄れていくけれど、それに変わる犠牲を供えた愛の光となって、街に人に輝き入る。

2011年7月26日火曜日

今日の想い 346

訓読会の締めとして必ず何人かに歌を歌わせられ、御自分でもお母様の手を引かれて歌を披露される。そのように御父様にとって歌はなくてはならないものであり、勿論私達に於いても歌は必要不可欠なものだ。歌われる様子を見ればわかるように、決して人に聞かせよう聞いてもらおうとして歌われるのではなく、その歌に御自身が入っていかれる。歌の中に感情を泳がせ、歌のリズムに酔って入り込まれるようだ。御父様が歌われるときは天地が呼応している。霊界に対して鈍い我々は、この世の歌や私の中に常日頃耳に響くものに対するのと同じような態度で、何気なく耳にしているけれど、御父様が語られるみ言葉が天の言葉であるように、御父様が表現されるものを通して天の何かを感じ取ろうとすべきだろう。この世的なものを超えた天の心情や意志を、歌として表わされようとされる御父様に接するなら、私はその心情波動を受け取れる共鳴体となりたい。感情が揺さぶられるほどの私の魂となりたいと思う。誰かに歌わせられるときは合の手を入れられたり、座っている食口を見回されながら気合を入れるような素振りも見せられ、私達を何とか高めようとされておられる。どこかシャイで冷めた日本食口は大人しく、せいぜい手拍子を軽く入れるに留まってしまうが、御父様が歌のリズムに酔われるなら、私達も酔うほどに御父様に合わせるべきだろう。御父様を越えて騒ぎ立てろとは言わないまでも、御父様が身体を揺らせば合わせて揺らし、もっとその場を盛り上げてもいい様に思う。私達は楽しいときや嬉しいとき、つい口に出る歌もあるけれど、苦しいときや悲しいときに脳裏に繰り返し繰り返し流れるフレーズもある。ふと思い出されたり耳に入ってきたり、様々な形で歌が届けられて思わず鬱積したものが涙となって流れ出すという経験は誰にでもあるだろう。身体が心拍や呼吸でリズムや振動を為して生命活動をしているように、魂の活動もリズムや振動があるはずだ。だから歌のリズムやメロディーに共鳴して感動できる。それは人によって様々だけれども、もし御父様の心情のリズムや振動の在り様と同じ波動に合わせることができれば、私は御父様の高みまで一気に上昇できる。

2011年7月25日月曜日

妻の誕生日

夕方には椅子に腰掛けたまま寝入っていたのでベッドに行って休むように言ったが、暫くしてまた起きてきて小腹が空いたのかバナナを剥きはじめた。病を患ってからはずっと少食で、一本は無理だろうと思って無理して全部食べないように告げたが、それには返答をせずに嬉しそうに食べている。妻はバナナが大好きだ。手術後しばらくして、胃腸が相当弱っていたようで食べたバナナを受け付けず、胃の内容物を全てもどしてもまだもどし続けるので、救急に運び込んだことがあった。それ以来懲りたのか何年も口にすることはなかったけれども、半年ぐらい前からまた手にするようになった。パソコンのキーを叩く私のそばで、椅子にもたれかかる様にして食べている。先ほど買い物から帰ってきた娘がいつものように私をダシにして冗談を叩くと、口にバナナをほうばったまま笑っていた。娘は誰に似たのかひょうきんな奴で、娘が居る間はいつも笑いが絶えない。笑っている間は妻も私も病気のことは忘れている。娘が出掛けている間、内緒でメールを送って何かプレゼントを買ってくるように伝えておいた。今日は妻の誕生日だ。娘が買ってきた紙袋を造作もなく妻に差し出すと、覚えてくれていた安堵を覗かせながら、食べくさしのバナナを捨て置いて子供にかえったように包みを解き始めた。娘が何を買ってくるのか興味津々だったけれど、化粧品という以外なものだった。何かひとひねりしたふざけ半分の代物かと思ったからだ。娘として母親に渡すものとなると結構真面目に考えるものらしく、品物を大事そうに手に取りながら妻は本当に嬉しそうだった。化粧品など使う機会は殆どないから、先ず夫の私の選択肢の中には気付いて入れることもないと思うが、娘はやっぱり女性なのだろう。母親の女性として喜ぶものを選んできた。しかし言っておくけど父親である私の時にはアンパンを一つよこしただけだ。けれどもそれはそれでそのウイットが娘一流の私へのプレゼントだということは良くわかっている。病を抱えて迎える誕生日は、娘は娘として、私は夫として、そして本人としても決して単純な嬉しさで迎える訳ではない。整理されない想いも抱えて迎える誕生日だ。でもそれはそれで、今日という特別な日を輝かせている。この日を誰も忘れることは無い。夫として、出来ることであればこの生命の半分を妻に渡したい。そうして一緒に生きて一緒に死ねれば、これほどの夫婦としての喜びはないだろう。そんなことを思いながら、妻が残した食べくさしのバナナを口にほうばった。

2011年7月24日日曜日

呼吸を考える

人間が息を吸うときには脳脊髄液が脊髄の中を脳へと押し出すように移動し、脳にある神経組織や感覚組織を刺激して頭頂部の静脈へと吸収される。逆に人間が息を吐くときには脳から脊髄へと移動して、脊髄から静脈へと押し出される。この脳水(脳脊髄液)の移動をイメージすれば、海の潮の干満に似ていると思わされるのは当然だろう。すなわち地球の呼吸作用の結果を潮の干満に見ていると言えるようだ。ここで気になることは呼気と吸気のどちらが干潮で満潮なのかと言うことだが、満潮時、血管に似て網羅されている川を上流の方へと水位が上がっていく様を見るなら、脳から脊髄、脊髄から静脈へと押し出される呼気と、干潮から満潮への移動が同じであることを思わされる。潮の干満は月が特に関係しているから、地球の呼吸は月と切っても切れない関係にあることもわかるし、であれば人間呼吸も月と関連するものがあり、誕生や逝去が月と関連することも理解できる。人間の発想や創造と、呼吸との関係を注意して観察すると、無意識ではあるけれど脳にある神経組織や感覚組織を刺激する吸気の時に創造作業を為している。息を吸うときに考えは浮かぶのであって、息を吐くときは頭の作業をオフにして生命維持作業に没頭させる。息を吸うとき天との授受を為し、息を吐くとき地との授受を為す。呼吸のこの繰り返しのリズムをもって、天地一体としての私が存在している。勿論堕落した存在であるから本来の一体存在とはなっていないけれども、創造本然の人間であるなら呼吸活動を通して天の叡智を地上に浸透させ、地上の精誠を天に届けることのできる存在であるはずだ。呼吸が生命維持に於いて無くてはならない機能であるけれども、と同時に天との関係、地上との関係に於いて、内的霊的な意味で無くてはならない機能を為している。呼吸の内的霊的意味を問うとき、肉体存在としての人間から魂の存在、霊の存在としての人間を見ようとしている。世界会長が呼吸に対して宗教的感性を持ち込み備えることを話されるけれど、内的霊的意味を備えた呼吸ができれば私の魂は蘇生する。

今日の想い 345

ここのところ猛暑続きで、どこに行っても日本の節電モードを笑うかのように冷房をガンガンにかけている。しかし外気が華氏百度を優に超えてしまえば、どれ程室内を密封してもこの暑さに負い付くことは無理だろう。寒さに弱い妻だがこの暑さにもついて行けず、要するに変温動物のように外気温の影響を直接受けやすいから寒さにも弱いけれども暑さにも弱いと言うことのようだ。保湿ができない乾燥肌の下には断熱材も入っていないようで、外気の異常が内臓諸器官にまともに来る。朝は取り敢えず起床するが、家事に少し手を付けては又横になり、横になっては又起きるというようなことを何度も繰り返して一日を終える。逆に四十代前半の体調の優れなかった当時の私と比べて、見違えたように元気になった私は何とか妻が健康を取り戻せるように、私の路程を踏まえて彼女の魂の在り様を変えられないものかと思うのだが、人間そう簡単に変われるものではないらしい。生まれ変わって、更に生まれ変わってこそ変われるのかも知れない。生活に支障が出ない程度の小康状態が腎臓移植した時から四年近く続いているが、ここ半年で検査の数値もかなり悪化してきている。この先、透析に入る頃の極度の疲労感やそれにも関わらず不眠症が襲う、あの苦しみに喘ぐ妻をまた見なければならないのだろうかと思うと、地獄への階段を一歩、また一歩と降りているようで、何とも不気味な気分に襲われたりする。妻に対して敢えてそんな話など出来るわけでもないし、先々をあまり見ようとしない、盲目的楽観に留まるしかない今だけれども、今日有る命に感謝し、今を精一杯生きることをお互いの間の共通の魂の在り様として納得している。しかし最初の時は健康体で生きることに何処までも執着していたし、健康を奪われる絶望感に落ち込んでいた。その意味では新たな試練の大波が襲ってきても、魂は前回とは違うステージに立っている。この2011年の夏の猛暑を二人で過しながら、一人は汗だくの熱帯雨林状態でフーフー言い、一人は乾燥した熱帯砂漠状態でハーハー言いながら、一緒に居ながらも別状態を生きている。それぞれの蕩減的なものとは別に、天地が公認した夫婦の責任使命としての相対的別状態なのかも知れないと、そんな事を想起できるのもこの暑さのお陰だろう。地球温暖化という言葉は御父様も使われている。御父様が口にされる言葉であるならその言葉通り地球は温暖化していると断定される。この温暖化の意味することを、肉体の意味に於いて、個人の内的霊的な意味に於いて、更に摂理的意味に於いて、勿論地球の変動に関しても問うてみることは非常に興味が持てる。ひょっとしたら夫婦として内的霊的に、地球の砂漠化を解決する道筋を切り開いているのかも知れないと思ったら、この妻の病をしてお役に立てているということが言える。

2011年7月21日木曜日

今日の想い 344

押し並べて、愛に対する理解が足りないか愛を何か特別の、食口だけが関わるもののように思っている。愛という言葉を始めて耳にしたような者達が集まって、原理に出てくる聖書の引用部分だけを扱いながら、如何にも聖書を知り、イエス様が示された愛を知り、クリスチャン達が積み上げてきた愛に対する概念を知っているかのような幻想を抱いたまま、み旨だと拳を上げてこの世に対するから誤解が生じる。摂理が延長され御父母様や御家庭に皺寄せが行ったことに対して、祝福家庭の問題だと口にはするけれど、私の愛が足りなかった、理解が足りなかったと本当に思っている食口は少ないだろう。本来クリスチャン達が再臨主を受け入れて摂理を担当すべきで、それが失敗して私達が担当することになったという意味が、摂理の全体としては説明できても具体的な私の内容に対しては無頓着だ。全体として指摘されても個人個人の問題として指摘されることは無かったけれど、明らかに私が問題だったと思わなければならない。御父様も或る程度認識された事ではあるだろうけれど、キリスト教としての名声や培ってきた外的基盤もさることながら、み旨を担当する一人一人の内容がクリスチャンの内容と差がありすぎる。要するに愛がわかっていないと言うことだ。日本的な優しさだとか親切だとか気遣いだとかというのも大まかに見れば愛には違いないけれど、イエス様が示されキリスト教やクリスチャンの中で築かれ培われてきた愛は本質に根差している。霊的であると言ってもいい。恐らく私達、特に日本食口はその点に関して内容が無いから、御父様は日本の忠孝の精神をサタンと戦う武器にされたのだと思う。40年期間を超えられて出発点に戻られてからは、私達の内容に対する願いも次元を上げられている。クリスチャンを超えて余りある愛の内容を願われている。御父様のみ言葉の理解を、真の愛の理解を為そうと思えば、イエス様が示されクリスチャンの中で育まれた愛を、その濃縮されたものだけでも学んで受け取れなければ、正しく畑を用意して真の愛として花咲かせることはできないだろう。イエス様が示されクリスチャンの中で育まれた愛を知れば知るほど、彼らに対して頭を下げてでも請わなければならないものがあると感じるはずだ。彼らに対して、私達の内容に誇れるものは無い。謙虚に学ぶ姿勢だけでも取り戻さなければ、御父様だみ言葉だとトラの衣を借りても、如何せん自分の内容の無さに愕然として立ち上がれなくなるかも知れない。

2011年7月20日水曜日

今日の想い 343

差ほどの温度はなくても湿度が異常に高かった一夜を超えると、外気は冷めて結晶し、朝靄(あさもや)となって柔らかな朝日の帯になびいている。掻き回されて沸き立っていた外気が整理されて落ち着いてくると、それとは対照的で、落ち着きを見せない私の内面が際立ち目立ってくる。言いたい放題でひと時として口を噤むことのない内面の声は、良心をその口を押さえたまま魂の底の闇のなかに追い遣ってしまっている。今日という一日もいきり立つ何千何万と言う声に翻弄されながら、無闇に一日を後に追い遣るしかないのだろうか。つくづく嫌気が差してきて昇る朝日が恨めしくなる。この声のひとつひとつを宥めて言い聞かせなければ、私は一ミリだに前進できない。神様は時を動かし前へ前へと進めておられるのに、私の内面の時は足踏みをしたまま前進することが出来ないでいる。御父様の背中は振り向かれることも待たれることもなく、ますます歩調を速め遠ざかっていかれるようだ。私の或る声は東に行けと言い或る声は西に行けと言う。或る声は立ち止まれと言い、また或る声は引き返せと言う。私は立ち往生したままで泣きそうになる。躊躇したまま先生に声もかけられず、お漏らししてしまった園児の私がそこにいる。当時の私は既に気付いていた。このままなら何度も何度もお漏らしし続けることを知っていた。そしてこの状況を打破する為には顔を上げるべきだと、顔を上げたら視線を伝えるべき先生に持っていくことだと、そうして兎に角口を開くことだと、何でもいいから声を発することだとわかっていた。当時の私が既に教えられて知っていたように、今の私が先ず何をすべきかは知っている。私が願う私の在るべき姿を、それは無理だと言う悲観的気分で覆ってしまっているから、いつまで経っても足踏みしたままでいる。私は既に不信の気分だけで私の内面に対している。不信の要素で、否定的気分で私の内面は満たされていて身動きできないままだ。戦いは外にあるのではなく私の内面にある。信と不信が、否定と肯定が戦っている。祝福を戴いて神様に根ざすものと、堕落からくるサタンに根ざすものとが戦っている。私は戦いに勝利して、外界のこの煌く朝日を内面に届ける私になる。過去の日々がどれほど敗退の連続であっても、勝利の旗を掲げる戦いの場として、今日という場を用意されている。信仰者に取って生きる一日一日は、今日には今日の戦略があり、何処の前線を広げ何処を突破していくのかという内的戦略に余念がない。その認識があって意識があれば、御父様の存在と戦勝記録のみ言葉は、現実性と必要性を大きく帯びて今日の私に関わってくる。

2011年7月19日火曜日

今日の想い 342

風の強い夜は当時の私の子供心にも心配で、なかなか寝付けなかった。雨戸ががたがたと音を立て、家全体がぎしぎし軋んだ。私が学校に通い始めた頃までは周りの家も藁葺き屋根の造りではあったけれど、私の家はどこの家と比べても小さくて見劣りがしたし、納屋のような貧相な家は大雪に見舞われたり強風でも吹けば確実に崩れると思っていた。裏手に僅かの松林があるのみで、周りにこれといって遮るものもなかったから強風が吹けばその影響をもろに受ける。今でも今日のように風が吹く夜には家が軋む音が思い出され、その時の不安感情が蘇るが、子供であった当時の私の魂も消え入りそうなほどで、吹き飛びそうな家と同じように風前の灯と言ってよかった。自然の厳しさをもろに受け取りながら、恐れて萎縮し伸びることを押さえ込まれた魂の力もあるけれど、逆にそういう環境が育てた、宗教的畏敬の想いで対する魂の力を伸ばしてこれたというのも事実だ。この子供時代の環境がなかったら、内的霊的には狭き門であるはずの成約の信仰を備えることは先ずなかっただろう。この世に産まれ出でたことが苦痛以外のなにものでもなかった。その当時の夏の田舎で思い出すのは、厠(かわや)の蛆(うじ)の蠢(うごめ)く様であり、鍬が振り下ろされて潰された太いミミズののたうつ様であり、すすけた垂木に巻きつきながらゆっくり這いずる黒い蛇であり、そしておもむろに天を仰げば、青黒い空に赤黒い太陽が鈍い光を放っている夏の重々しさだ。地上に生まれ出でたこと自体を恨めしく思い、妖怪の類たちの中に放たれた怯える子供そのもので、恐れおののいて生きる定めを疑わなかった。不気味な風の音やあばら家の軋む音も、生臭いミミズも鼻を突き嘔吐を誘う草いきれも、全てにおののきながらこの場所で一生を生きるのだと信じて疑わなかった。今夜のこの風の音に誘われて、当時の感情そのままを今の私の内面に映し出して比べながら、今の私の魂がどれほど明るく開放されているかを思わずにはおれない。その天地の違いとも言える私の魂の在り様に、当時の私は驚きの表情を見せて言葉も出ない。

2011年7月18日月曜日

今日の想い 341

現代人にとって思考を働かすことで神の存在の是非を問い、存在の本質や人生の疑問への解決を見出そうとするけれども、思考はあくまで私の概念を基としている。その意味では思考は限定的であり私を超えて思考することはできない。私を超えて、即ち私の理解を超えるものに触れ、受け取ろうとするときに私はどうすべきなのか。思考を超えて高みとコンタクトを取ろうとするとき、私は祈るべきだと言う結論に至る。私の心を無にし、更に全開して天の御父様と尋ねるとき、夜も昼もなく応えようと構えておられる神様から直接想いを受け取ることが出来る。しかしその祈りこそが本当に難しい。祈りに似せた風の行為なら誰でも出来るしいつでも出来るが、私が完全なマイナスの位置で、真摯に神様へ向き合うことができたことはただの一度も無い。ただの一度も無いけれど、本当に祈ることができて神様と一問一答すると言える基準を私の本心は知っているし、その基準から遥かに遠い私であることを知っている。真の神の日のような公的な場で、祈られる御父様に私達は何度も接している。その時の御父様の姿勢や表情、口にされる祈りの内容や言葉遣い、さらに込められた心情や漂う雰囲気など、言葉では説明できないけれど圧倒されるものを食口であれば誰でも感じずにはおれないだろう。御父様の祈りこそが本当の祈りであり、私達が祈るときの基準であり、御父様の祈りにより近付くことが神様と一問一答できる私になれる道のりだ。全ての行動は深い思考に根ざしたものであるべきだけれど、どれほど熟慮するとしても思考の前に先ず祈りがあるべきだ。私の祈りが拙いものであったとしても神様が働くことが出来るのは祈りを通してだ。拙い祈りであったとしても、祈りは祈りとして必ず聞き届けられる。もしそれがこうして欲しいああして欲しいと言う、人から見ればつまらない願いであったとしても、親としての神様の反応が必ずあるという信頼を寄せた祈りであれば必ずそれに応えて下さる。祈って心を天に開けば、思考は私の思考としてではなく、私を通して天が思考しているのを私は実感するだろう。人間は万物以下に堕落したけれど、堕落人間であったとしても人間は祈ることが出来る。祈りを通して神様に向き合おう近付こうとしてこそ、神様に対して私は人間なのだ。祈らない私は万物か、それ以下だと言ってもいい。それほどに祈りは大切だ。

2011年7月17日日曜日

今日の想い 340

神様は縦的父母であり御父母様は横的父母である。親子関係は縦的関係であり夫婦関係は横的関係だ。男性は縦的性であり女性は横的性だ。副詞は存在名詞にかかることで存在名詞に輪郭を与え、存在の特徴を際立たせる。縦的横的と使われるみ言葉を拾い上げて、それらのどの存在名詞にも当て嵌まる意味として浮かび上がってくるのが、縦的とは時間軸に於いてという輪郭であり、横的とは空間軸に於いてという輪郭を宛がうことでしっくりくる。全ての言葉は相対関係にある言葉と対でこそ理解することができる。父という言葉の理解は母と言う言葉をして理解できるしその逆も言える。全ての存在は相対関係をもって存在するのであって、よってその言葉の意味を問う場合も対になる言葉をもって理解することができる。さて、人それぞれの死生観を問うとき、男性はより縦的、即ち時間軸において死生観を把握しようとし、女性はより横的、即ち空間軸において死生観を把握しようとする。男性は死に向き合っているし、女性は生に向き合っている。男性は未来を見つめる今があり、女性は経験を積み重ねた今だ。男性は未来への見通しが開けなければ動けないのに対し、女性は過去の経験が今あれば動ける。男性は時間軸に刻まれる(残される)ものを愛し、女性は空間に残される(刻まれる)ものを愛する。男性は常に死を意識していて死への現実感が強いのに対し、女性は常に生を意識していて死への現実感は薄い。男性は記憶を消去して未来の為に思考を使い、女性は思考にまわすべき脳細胞も記憶媒体に使ってしまう。それらの対比をしながら距離を置くのではなく、より知って補い合うことで新たな本質的なものに根ざす何かが誕生する。男性と女性が合わされば子供が生まれるだけだと言うのは、内的霊的な創造、内的霊的な誕生があることを知らないか必要としていない。縦横の本質、陽陰の本質を掴みながら新たな思考、新たな発想が産まれ育まれていく。御父様のみ言葉は今までかつて地上に降ろせなかった天にあるロゴスを、地上的言葉で私達に示されている。天の秘密の地上化がみ言葉であり、そこに御母様の存在が関与されなかったら成されることはなかった。時間軸に生きて働かれる神様を空間に御父母様を戴くことで現されながら、御父様は御母様との関係のなかで我々に示されるみ言葉であって、み言葉の本質には御父母様という陽陰一体が見えて輝いている。

2011年7月16日土曜日

今日の想い 339

どれほど生にしがみ付き、生への執着を石となるほどに頑なにするとしても、死は万民に訪れて死から逃れられる人間は一人もいない。逃れられないにも係わらず更に執着を強くする。執着心から心を頑なにしてしまうと、もはや他の何物も受け入れようとはしなくなる。魂がその執着で完全にロックされてしまうからだ。この世の生だけが、そして生きながらえることのみが私を存在させていると信じて疑わない。存在の在り様はこの地上の生とは異なるが、この肉体が滅んでも私と言う存在は存在し続けるという感覚を失くしている。生への執着という魂の病的な状態は、生きることの目的観念を備えていてその為に生きたいと思うのとは異なっている。私の心の在り様をよく観察すると、生活のあらゆる側面で執着病が伺える。生きることに向き合うとき、生への執着でロックオンされて正しく生に向き合うことが出来ないでいる。その状態から解き放つ為には、生活の側面で症状として現れる執着病のひとつひとつを丹念に言い聞かせ宥めながら、ロックされた魂を開放していくプロセスが大切だ。外的な結実がひとつひとつの行動の積み重ねであるように、内的な結実もそうであって、ある時急に人が変わったように内的状態が変わるわけではない。しかし確実に見えない一滴一滴が溜まってきて、コップから溢れ出す瞬間を見届けるようになる。遠い過去の或る時点で自分にも気付かないように蓋をして、無意識の領域に押さえ込んだ堕落の病の性品が、魂の底の方で悪臭を放っている。私の心の動きを注意深く観察しながら、腐りきったその堕落の性品を取り出して洗い流す。それが決して優しい作業ではないが、痛みを伴う魂の作業を積み重ねることで、魂の病は癒されていく。堕落の性品は取り除かれていく。傷口をえぐられたくない思いを乗り越えて霊的手術を自らに施しながら、執着していた堕落的性品を癒していくことで、固い上薬(うわぐすり)のように魂の表面にコーティングされていた病的な生への執着という縛りを解き放ち、生きることの本来の目的観念が魂の内に蘇生してくる。それこそが祝福を戴いて御父様から神霊を自我に受け取り、神霊を基とした自我による再生された生命体を創っていく。

2011年7月14日木曜日

今日の想い 338

雨が降って山に染み込み、染み込んだ水は地下水になったり湧き水となって池やダムに蓄えられ、蓄えられた水が河川の源流となって山間(やまあい)の旅を始める。或る時は濁りそして或るときは澄みながら、急流を下ったり淀みに暫く留まりながら、やがてはとうとうと流れる大河となって流れていく。水の一生は人の一生の如くであり、御父様が霊界を説明されるのに地上界を淡水、霊界を海水とたとえられるように、空気呼吸という淡水の生から、愛による呼吸という海水の生、霊界生活へと移っていく。地上での塩は霊的なものを吸い込んで霊的なものを排除させる働きがある。海水は全ての霊的なもの、それが善霊であれ悪霊であれ選り好みせず如何なる霊も取り込み、そして霊の浄化を為していく。濁った水も澄んだ水も、海は全ての水を取り込んで浄化していく。濃い愛情の中でこそ内的生活は深まるように、霊界の愛の度合いの深いところが高気圧であり、より天国に近いところと言える。地上の標高の高い山のような空気の極めて薄いところがあるように、愛の密度が薄い地に近いところもある。山に登れば呼吸は苦しいのであり、それでも敢えて登りたいと思う登山家は、愛の呼吸の素晴らしさを無意識に覚えていて、霊界への憧れを備えているから山に登る。堕落人間が、より天国に近い霊界に住むことを拒んで愛の密度が薄い霊界に留まろうとするのは、より地上的呼吸が可能なところを選ぶからだ。彼らは愛の呼吸器官を、霊界生活を楽しむほどには準備しては来なかった。河川から大海に流れていく汽水域は、地上界と霊界の橋渡しの地域と言えるだろうし、魚たちはこの汽水域で海水に慣れて大海に泳ぎ出るように、人は四十九日を準備して霊界に旅立っていく。地上で培った愛を呼吸する霊的器官を備えて、霊界に旅立っていくこの準備期間がどれだけ大切な期間であるかは、私達のよく知るところだ。ソロモンアイランドに釣りに出掛け、直ぐその先には青黒い海水が見えるぎりぎりまで船を漕ぎ出していったが、汽水域は正しく地上的表現としての霊界への門に違いない。

2011年7月11日月曜日

今日の想い 337

新約的な愛の言葉は、慰労や慈愛に満ちた受け取る愛としての愛の言葉であるのに対して、御父様が語られるみ言葉は、与える愛として差し出す私の意志を刺激するもので満たされている。意志を差し出し、行動を伴わないみ言葉理解なら、本当のみ言葉の力を私に植え付け育てることはできないだろう。愛されているという言葉を何千回、何万回告げられたとしても、真の愛は伝わってはこない。愛するという意志を伴うみ言葉受肉であってこそ、即ち実践してこそ、み言葉はみ言葉としての本来の力を発揮し、与えるからこその真の愛に違いない。しかし等閑な(なおざりな)行動を実践とは言わない。その行動が愛するという意志に満たされているのでなければ実践とは言わない。私自身の信仰告白として、等閑な、輪郭だけの行動に終始してきた期間があまりにも長すぎた。そして未だに形だけにとらわれる歩みから完全に脱却している訳ではない。私の中に、未だに愛するという概念が備わってそれが全ての行動動機となってはいない。生活の全ての行為が、私の一挙手一投足が、全ての表情やひとつひとつの視線までも、更に一呼吸一呼吸に至るまで、愛するという意志に貫かれたものであるべきなのにそうなってはいない。そうなっていないのに意味もなく落ち着き払い、今の私に安住しようとしている、悲しいかなその意識もされない堕落的意志が私の意志の在り様だ。敢えて意識もされないそれが私の中心的気分であり、それは堕落的気分だ。新約の聖徒たちと霊的イエス様の間には聖霊が関与している。聖霊を介してイエス様の愛を受け取り信仰の美を差し出す。クリスチャンに取って聖霊の働きは或る時は風のようであり、或る時は水のようだ。そして又或る時は火のようにも働きかけてくる。地上生で空気や水や熱の中に埋もれて生きるように、楽園というイエス様の霊界で、聖霊という霊的空気や霊的水や霊的熱の中に埋もれて内的生を生きているのがクリスチャン達だ。イエス様を慕う彼らはそう言った聖霊の要素に満たされている。本来なら聖霊に満たされている彼らこそ、御父様から愛する意志としての魂を注ぎこまれ、聖霊を受け取って聖霊体験する受身の位置から、真の愛として能動的に愛する位置に立つべく用意されていた。御父様が私達に対するとき、耳に優しい言葉はないし、溜息の出るような指示事項に溢れている。み旨の為に苦労している兄弟に対して、慰労の言葉をかけられる以上に更なる苦労を要求されるのが御父様だ。慰められて、愛される私達になるのではなく、より愛することができる、より犠牲になることが出来る私達になることを願われ、要求してこられた。苦労が当たり前となり、犠牲になることが当然となって、真の愛の実体であられる御父様に近付くことができる。受け取るのではなく、自らが放つことができる真の愛の実体への道を歩んでいる。新約の聖徒クリスチャンが、受け取った光を反射する月の存在なら、成約の聖徒は自らが光を放つ太陽存在だ。光を常に放つ私となり、私が風を起こして恵みや慰めを与え、水の流れを起こして生命を与え、熱を起こして天の心情を相手が受け取れれば、私は御父様と同じ位置に立てる。

2011年7月10日日曜日

息子の門出

まだ日は十分高い。いつものように95号線を南下し始めると、見通しのいい湿地帯を走る橋梁からマンハッタンが見渡せる。直線道路を確認しながらも、マンハッタンの高層ビル群が見渡せる左側に、何度も何度も視線をやる。あの高層ビルの底に息子を置いてきた。南下するにつれて、高層ビルが林立するマンハッタン島は次第に遠ざかっていく。ハンドルを握っていて後ろを振り向くことはできないし、バックミラーも視野が狭くて役に立たない。息子の不安と期待が入り混じった表情もどんどん遠ざかっていく。これでいいのだろうかと、もはや親として自分に問うことは許されない。良いも悪いも来るべき時が来たんだと感情を括るしかない。昨日、引越し荷物を積み込んでアパートを出たのが十二時近くだった。途中まではスムーズに走っていたが、次第に雨雲が濃くなってきて降り始め、そのうち止むだろうと週末の込み合うサービスエリアで昼食を終えたが、雨が止む気配は全くなく、再び北上し始めたが直ぐにも前が詰まってきた。結構な期間のろのろ運転を迫られ、リンカーントンネルを潜って着いたときは夕方六時を回っていた。止まぬ雨の中、取り敢えず車に詰め込んだ荷物をアパートの二階の部屋に運び込んで一息ついた。借りた部屋は窓はあっても向かいのビルの壁しか見えず、どこを見るでもなく狭い部屋の中を誰もが見渡しながら、敢えて口を開くものはいない。息子の新しい出発だし最後だからと思って妻も娘も付いてきたが、黙っていたらどうしようもない。そのうち息子も娘もそれぞれの友達のところへ行くと言って出てしまって、当事者がいない部屋は妻と二人だけになってしまった。こうなるなら狭い車中に家族で六時間も閉じ込められたことの方が良かったことになる。今までもいつも外に出払っていて家にいることのほうが少なかったが、暫く会えないこの状況でも息子は軽い気持ちで出て行ってしまう。日本的に言うなら、赤飯でも食べながら家族が揃って泣き笑いのひと時を過ごすところだろうけれど、絵に描いたようにはならないらしい。新しく買い揃えた主人のいないベッドに、縮こまるようにして妻とふたりで休んだ。明け方、昨晩随分遅くに帰ってきた息子にしばしの別れを告げたが、クールな家族もさすがにこの場ではお互いの幸先を口にしながら顔を見合わせた。おそらく永遠の別れの時も、こんな簡単でドライなことになるんだろうなと思ったが、これが我が家の家族の在り様でそれはそれでいいのかも知れない。リンカーントンネルを潜って対岸に出ると高台に車を止め、ハドソン川の向こうのビル郡を見渡し息子のアパートの位置を目算した。暫く眺めながら、何か伝え忘れ、何か準備し忘れたようで落ち着かなかったが、それは寂しさによるものだと言うことはわかっていた。それでも南下するハイウェイに乗ってからも引き摺っていて、アクセルを踏む度に心が少しずつ欠けていくようだった。荷物もなくなり席も空いた後部座席の隅で、体が弱く疲れて眠っている妻は、寄りかかるものもなく倒れそうにしている。その様子をバックミラーの中に見ながら、新しい出発をすべきは私の方なのだと、気持ちを立て直すように気合を入れて座りなおし、ハンドルを持つ手に力を入れた。

2011年7月8日金曜日

今日の想い 336

復帰歴史を見れば、この世の善悪観では計れない事柄が神の摂理として為されてきたことはその通りだ。さらに現在から過去を見て、私達が原理的解釈で納得できるものではあっても、その時代の当事者が同じ原理的論理の視点に立っている訳ではないし、中心者、当事者の意志に働きかけて、霊的に彼らは押し出された形で摂理は進められてきた。御父様ははっきりとイエス様の父親は洗礼ヨハネと同じ父親であるザカリヤだと断定されておられるが、マリアの行為をエリザベツが知ったとして納得したとは思わないし、現代であっても勿論そうだが当時であっても道義に反する行いには違いない。しかし事実救世主は道義に反した行為を通して出生されている。では現在すすめられている摂理や御父様の指示事項、或いは様々な問題に対して私の判断が正しいものであると言えるだろうか。私の判断は、私が思う道義に照らしてみたり私の論理を展開してみたりということだろうけれど、いくら原理的とは言え思考するのは私であって、その私自身が罪をもち堕落性があり不完全な矛盾した存在だという観点に立つなら、私が思うことも不完全な矛盾したものであることは否定できない。個人的なことにしろ全体的なことにしろ、私の前には常に解決すべき課題が対峙している。それを解決して次なる展開へと開拓していくのが或る時は蕩減であり或る時は創造だ。問題は私達が霊的に曇らされて目の前の課題がはっきり見えないことにある。感情や思考には堕落的なものが侵入しており、その私の感情や思考が課題の本質を見る目を邪魔していることにある。とりわけ教会内部の問題と言われる事柄に関して、私達は様々な情報を妖邪な形で取り入れていて、更に不完全で矛盾した私が判断しようとしている。課題の霊的本質が見届けられない限り、私は問うことはあっても判断すべきでない。更にその本質の知れない課題に、敢えて飛び込み介入しようとするなら、発動させた意志に対する責任を負わざるを得ないだろう。本当は、関心が行き、より刺激的に思える甚振り(いたぶり)ものを得たと喜ぶ堕落的な私がいて跳び付こうとしているし、御父様が指示事項として出されていて、私が課題として本来対さなければならない嫌気の指す面白みのない事柄からは逃げ出そうとしているに過ぎないだけのことだ。私の動機を白日に晒して悔い改め、御父様の心情を尋ねることに目を向けさせ、その願いに応えようとする私を復帰させることだ。神霊を戴いた食口であるなら、揺るがない御父様に学んで翻弄されるべきではない。イエス様の誕生に於いて道義に反する行為が伺えるのに、再臨のメシアであられ、真のアダムの種を所有される御父様に於いて、何も無かったと言い切れるだろうか。理解できない形で摂理が展開されたように、御父様の勝利的な内容も理解できない秘儀的な事柄に満ちているはずだ。どんなことがあっても、御父様の道義的責任の追求に発展しかねない火種を煽る私達であっては絶対にならない。

2011年7月7日木曜日

今日の想い 335

私が肉体をもった存在であるのは、肉体としての母胎が私の肉体を産んだからだ。それでは私が生命体として存在しているのは、肉体としての母胎である母親の胎が生命体としての母胎でもあると言えるのだろうか。私の魂体も同じように母親の胎が母胎なのだろうか。この疑問自体が不可解だと思うのは、地上的感覚だけで見渡していて、感覚を超えたものを見渡そうとしない霊的感性の欠如がそう思わせている。肉体の胎と同じ母親のものであるにしろ違うにしろ、生命体の誕生には生命体としての母胎があったからであり、魂体として存在しているのは魂体としての母胎があると言わなければ、魂的なものも生命的なものも肉体に付随するだけのものと言わざるを得ない。実際は生まれて直ぐの赤ん坊に自我を直接見ることは出来ない。自我の誕生は自我の目覚めとして思春期と言われる時期に訪れる。それまで自我は胎の中で護られて眠っている。生命体の誕生は七歳から八歳あたりの歯の生え変わる頃に、魂体は思春期の入り口で性的成熟の頃に、生命体の胎を脱ぎ魂体の胎を脱いで誕生する。順序として肉体が産まれ生命体が産まれ魂体が産まれ、そして自我が産まれると言う事が出来る。それはまさしく人間創造過程に於いて肉体としての芽が先ず誕生し、生命体としての芽、魂体としての芽、そして今の地球が現れて初めて自我の芽が吹きだし人類始祖が現れた、その過程と同じ過程を見ることが出来る。イエス様が十二歳の時、宮の中で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるイエス様の賢さやその答えに驚嘆したとあるように、その時のイエス様の変わり様や、御父様にイエス様が現れて使命を受け継がれた十六歳は、イエス様に取っても、御父様におかれても魂体の誕生時期であることがわかる。(イエス様の時代は十二歳頃には既に性的成熟を迎えていた) 食口達は皆そうだと思うが、信仰を受け入れるだけの魂を備えているのは魂の母胎による影響を大きく受けている。勿論受け継ぐ罪や堕落性も魂の母胎からの影響の部分もあるが、御父様を受け入れる準備が既に魂の母胎から用意されていたと言えるのは正しいと思っている。思春期に宗教的感性をもった魂体を誕生させようと、思春期までの胎の中で育ませた、魂の母体としての守護霊によって統一の信仰をもつ私が存在している。

2011年7月6日水曜日

今日の想い 334

意気揚々と帰ってくるイメージはあったが、知人の運勢の恩恵に預かって結果はついてきたものの、実際は疲労困憊の状態で帰ってきた。でも今までの歩みからしても大体そんなものだろう。思い通りに事が運んで気分もよく、更に結果もついてきたといった経験は過去に無い。店の運営でも、従業員の問題も無くうまくいっているように思えて気分がいい時は意外と実績は少ない。しかし頭を抱えざるを得ない問題があちこちで起こっていたりすると売り上げは伸びていたりする。同船した連れにビギナーズラックだと言われたが、右も左もわからないビギナーとしての内的葛藤や奮闘がそれなりにある訳で、おそらくその内的犠牲が条件となって結果をもたらすのだろう。そう思うと確かに吊り合いは取れている。人生の幸不幸を簡単に口にしがちで、起こる事柄を自分なりの適当な判断で幸不幸に仕分けしているが、遡って積み重ねてきた業を清算したいが為の不幸らしき事柄であって、私の本質はその清算できることを喜びとしているはずだ。私の本質は常にバランスを保とうとしていて、表面的に現れるあからさまな好き嫌いの感情とは異なっている。清算してバランスを保とうとする本質は神様から受け継いだものであり、魂の表面的感情には天使長やそれに並ぶ霊的堕落に関与している存在から受け継いだものが侵入している。本質こそが私自身であって逆に現実感のある感情は影に過ぎない。本質を中心として存在したいのか消え去る影を追い求める存在なのか、肉体を戴いて同じ世界に存在していても両者の違いは真反対だ。時代が変わり宇宙が変わろうとしている今でさえも、感情の赴くままに己が欲を満たし続ける生に没頭するなら、自らを悪魔の化身とされ逆の意味で神様を証す存在に落されかねないだろう。私の感情に直結している五感も堕落的なものが侵入して曇らされていて、本質を見通すことはできないでいる。人類は今、本質からなる新たな五感を形作られる過程にある。キリスト存在として再臨受肉された御父様の地上存在の意味がどれほど天宙的大事件か、驚愕の事実を殆ど誰もわかってはいない。人類は地上的外的にも完全に生まれ変わる。私の堕落的五感は本質的五感に取って変えられる。御父様を慕い侍る食口でさえ近い未来の天宙的変革を見通せるものはいない。勿論私もそうだが、既に起こりつつあるその前触れだけは痛いほどに感じている。

釣りに出掛ける (2)

日本の海域では見ない魚だが、どちらかと言うとイシモチに似ている。こちらではスポットという名で十五センチから二十センチ程度の魚だ。汽水域から広く湾全体で取れるらしい。三十年近く前、初めてアメリカのワシントンに来て先ず魚の小売店舗で働くことになったが、そこは八割方黒人の客で、魚好きの黒人が安くて美味しいとよく買い求めて行ったのがこの魚だった。魚が釣れるポイントに船は固まって集まる。探知機は持ち合わせていないので船が集まっている所でアンカーを下ろし、釣り始める。知人は糸を落としたと同時にスポットを釣り上げて、幸先がいいと思ったけれど後がなかなか続かなかった。私は最初のポイントでは辛うじて三匹釣り上げただけだ。それでも他が一匹二匹と間を置いてでも釣り上げているのに、私の餌には最初の一匹がなかなか喰いつかず、焦りが出てきてただ糸を垂らしているだけで満足している訳にはいかなくなった。ポイントを移動したがそこは更に酷くて誰も何も釣れず、最初のポイントの近くに再び戻ってきて実績を立て直そうとした。三匹で終えるのかという諦めの気持ちを払拭して、改めて糸を垂らすと、すぐさま手応えがあった。竿を上げるときのタイミングを合わせないと逃げられる。リールを巻き上げる手に加重がかかり竿がしなってくると掛かった証拠だ。そのときの期待感が何と言っても釣りの醍醐味だろう。餌を付け替え、次なる期待感を求めて垂らすと更に喰いついてきた。その後はもう入れ食い状態で、垂らすと同時に喰いつく。こうなると体力との勝負だった。釣るときはいいけれど釣り針に餌をつけるのが大変だった。ミミズが人の血を吸い尽くしたようなブラッドワームという餌を細切れにして針に付ける。揺れる船の上での細かい仕事は簡単に船酔いを誘う。三十匹近く釣り上げるともう限界だった。魚との戦いは船酔いとの戦いに変わってしまった。あの時休まずに吐いてでも続けていたら恐らく倍はいっていただろう。後になると悔やまれるがその場でその決意は出来なかった。皆の釣り上げもひと波超えてあと一時間したら帰ろうということだったけれど、その一時間が事の他長かった。話しかけてくる知人の話に相槌を打つのがやっとの状態だった。確かに遊び気分の出で立ちが先ずまずかったとは思うが、釣れない最初、船べりに寄り掛かるようにして糸を垂れ、長時間首をもたげていた為に先ず頭痛が来た。姿勢が悪かったのだ。内的なものが外的に表れたのだ。横になりたくてもそんな場所などあろうはずもなく、両の手で上半身を支えて頭痛と吐き気が止まる様、ひたすら深呼吸を試み続けた。御父様のお話に、船乗りは波に体が揺さぶられる為に血流が揺さぶられて血の滞るところがなくなる。その為に船乗りは健康体が多いと話されたことがあるけれど、胃の中が揺さぶられれば戻すしかないだろうと言うような、愚かな苦言まで飛び出しそうな始末で、もう少しそのまま放って置けば私の堕落性の全てが一度に噴出しただろう。最後まで粘っていた南米系のオヤジが、帰ろうと言ってくれた時の彼の日に焼けた年老いた顔が、天から光が射したように神々しく見えた。戻りの西の方角に船は走り、風を受けると幾分収まった気分になる。内的な整理は帰ってからにするとして、海上から見えるこの見事な風景だけでも視覚に焼き付けておこうと重い上体を起こした。アイスボックスの中で何重にも重なっている数え切れないスポットがたまに飛び跳ねる。舵を握る知人は大漁だと言って喜んでいるが、私にはもうどうでも良くて一刻でも早く陸に上がりたかった。

釣りに出掛ける (1)

建国記念日であるJULY4THは店も休みだし、ゆっくりしながら暮れかかる頃に花火見物に出掛けるというのが今までの常だったが、今年は魚釣りに行こうという誘いを戴いて、朝早く四時半には起きて準備し、アパートを出た。弁当を用意する為に妻は私より更に早く起きて準備してくれて、出来上がったものは二段重ねのお重に入れた立派な弁当だ。立派な弁当を抱えながら、坊主では帰れないなと思った。店に寄って大きなアイスボックスにアイスを詰め込むと小一時間走って知人の家に向かい、戸口で待っていた釣り好きの彼の釣り道具一式を車の後ろに詰め込むと、東欧系の奥さんに送られて彼の家を出た。そこからチェサピーク湾にあるソロモンアイランドまで一時間半の道のりだ。私と違って饒舌な彼の話を聞きながら運転すると目的地まであっという間だった。貸し舟業の前の公営パーキングに車をとめて、後の連れ二人と合流し、荷物を釣り船に載せて逸る心を押させるようにしながらポイントまで波を立てて飛ばした。うす雲が掛かっていて太陽熱も直接には照らさないし、いくらか風もあるし、また朝も早いのもあって過ごし易く、とにかく熱かったここ数日に比べれば船釣りには良さそうだった。日差しを遮る屋根も無く、簡易ボートに小さなモーターが付いただけのもので幾分心配だったが、外海から比べて湾は波が穏やかだし、大きな河川が湾に到達する汽水域は更に穏やかで、簡易ボートで全く問題は無いらしい。それでも動いているうちはいいが、ポイントを決めて留まるとそれなりに揺れ始める。最初何時間持つだろうかと思ったが、釣り糸を垂れると意外とこの揺れが快適だったりした。他の三人は成果を求め、船底の下へ神経を集中させることに余念がないけれども、私は釣り糸を垂れただけで、光の海の真ん中で浮かんで揺らいでいることで十分満足だった。アメリカの建国記念日にアメリカの海に繰り出し、教会に貢献している兄弟と行動し、御父様が常に意識しておられた釣りに勤しむ(?)。そこに何か深い導きを思わずにはおれない。海の中や底にいる見えない魚の動きに神経を集中させるように、この体験の意味するものがどう未来に繋がり、どんな未来の種となりうるのか、意識下にある無意識の海の中の宝を吊り上げるような気分だ。

2011年7月3日日曜日

今日の想い 333

息子とふたりで一時帰国し、息子とふたりでニューヨークに行って新生活の準備を手助けしながら、息子が物心ついてからこの方、これほどに行動を共にしたことは無かったように思えたし、けれどもこれから離れるとなると、もうこれほどに同じ時間を過ごすことも無いのかも知れないと思うと、準備する手も止まってしまった。私自身、私を育てるために苦労を惜しまなかった親への想いは人一倍あったものの、説得も出来ずに無理矢理飛び出して行く息子をどうすることも出来なかった自分の親と同じように、今私はその親の立場に立たされている。立場は同じであったとしても、当時の親の気持ちそのままを味わいながらも私はその想いを諦めと恨みに貶めるのではなく、希望と喜びに変えて昇華させる使命がある。私のこの内的消化をもって自分の親が報われ救われる。正直息子は教会のことに対しては嫌気気分の方が先で、信仰的に立っているとはとても思えないので、心配な事柄を拾い始めれば際限がないけれども、事情がどうあれ一切の悲観事項を否定して希望と喜びだけで満たして息子を出発させることだと思った。怒鳴りつけもし手も出したけれども、無理矢理にでも心の扉をこじ開けて訴えたいとする衝動も、愛が深ければこそのことだと理解してくれているだろうか。何事に付けても深入りせず、クールでドライに収めようとする妻と同じような性格で、土足で心の奥の方まで入り込もうとする私をいつも避けていた。息子のために眠れない日々を過ごし、陰で息子のために何度も涙を流し、親として心安らかな時など無かったが、そうやって親としての無力な自分を突き付けられれば突き付けられるほど、子供に対する思い入れは強くなっていく。もはや自分がどうなろうが、火に焼かれようが切り刻まれようが、子供が活きるのであればそうなることが本望だとさえ思える。こうなると親バカも病気のようなものだけれども、個人主義から見れば愛とは為に生きざるを得ない心の病として写るのだろう。でも誰もが愛の病に罹れば、それはもはや病とは言えなくなる。神様が持っておられる真の愛の菌に感染することは、堕落社会にすれば病であったものが、本然の世界では愛の菌に罹ることが必要不可欠の状態に違いない。息子には、真の愛の菌を僅かでも植え付けることが出来ただろうか。生ぬるい血流に真の愛の菌で感染させて、沸々と湧き出すような熱い想いとなって流れ出すだろうか。

今日の想い 332

アパートのリース契約を済ませる為に、再度ニューヨークに息子と出向いた。午後二時の約束だったので車の移動に五時間は見ておかないといけない。鍵をもらったら直ぐにでも入居できるだろうと、今回車に詰め込めるだけでもと思って引越の準備にも欲を出した。しかし結構荷物の詰め込みに手こずってしまって、九時を過ぎてやっとのこと出発できた。トイレ休憩もそこそこに殆ど走り詰めでぎりぎり間に合った格好だ。でもいざリース契約を終えても七月に入らなければ搬入は出来ないと言う。明日は7月に入る今日だと言うのに、それでも規則は規則だと全く譲る様子もなく、サインと保証金を納め契約だけ済ませてオフィスを出た。大家が他の人種系だったら融通も利くだろうが、そこがユダヤ系のユダヤ系たる所以であって仕方が無いだろう。契約を終えたことでよしとして諦めて帰ろうとも思ったが、用を足すついでに近くのスタバで休んでいるうちに、このまま帰ったら負けのように思えてきた。鍵を受け取り僅かの荷物でも搬入することが今回の条件だろうと思わされ、すぐさま息子に管理人に電話させて明日の入居を告げ、鍵の受け取りの約束を取らせた。一つは今回を逃したら、私自身しばらく店を離れられないだろうなと思ったのもある。そうすることに決めてしまうと決めたことを条件として新たな展開が始まる。実は今朝の準備の段階から思うように事が運ばず、いざ出発しても忘れ物があったり、店から従業員が辞めた電話連絡が入ってきて今日の営業をどうするかとか、問題が起こるときは重なり合って出てくるものだ。それに対して意気消沈するのではなく、これを超えれば何倍もの展開が開けると言う期待気分を持って対することだ。そうすると或る瞬間に、手助けする霊と邪魔する霊が交代する瞬間を見る。そうしながら今までも超えてきたし、事実、思っても見ない新たな展開が開けてきた。そういう体験を何度もしながら揺ぎ無い運勢圏が私のものとなっていく。最近は手軽な予算で組み立て式の家具を揃えることが出来る。来たついでに机とかベッドとかの必需品もこの際揃えようと、日本にもあると思うが近くのIKEAに寄って見ることにした。調べさせると近くといってもマンハッタン内には無くブルックリンまで走る必要があった。車が犇めき合うシティーの超高層ビル群の谷間を縫いながら一時間をかけてブルックリンの店まで辿り着いた。疲れた体を引き摺って広大な店内を見歩きながら、何点か息子の気に入ったものを買い揃え明日の配達に指定して店を出ると既に夜八時を回っていた。息子に検索させて近くに宿を取る事にしてやっと両足を休めることが出来たが、移動もさることながら、新しい場所で新しい人に会ったり、見るもの聞くもの触れるもの全てが私の今までの経験には無いもので、外的にも内的にもこれほどの情報量を注ぎ込んだのは初めてかも知れない。それにしてもコミュニケーションの不自由の無い息子が実に羨ましくもあり、そして誇らしくもあった。

2011年7月2日土曜日

みんな夢の中

魂の故郷から追い払われ魂の故郷を失い、本質に触れることを許されず本質の意味すら失い、存在しているらしいけれども確定もされずに、魂の彷徨い人となり六千年間彷徨い続けたのが偽らざる人類の姿だ。存在も確定されずにどうして生きるという言葉を使うことが出来るだろうか。自分を生きるとは自分としての意志があってこそ言える言葉であって、自分の存在も確定されずに生きるという言葉は当てはまらない。自分を生きているのではなく何か別物が私を使って生きている。私の体を使い、私の魂を操り、本来の私自身は幻想の中に漬け込まれたままで別の何かが私を生きている。別の言い方をするなら、サタン使用の私だということだ。生きているという幻想の中で悲喜こもごもを味わいながら、表面的感情を好きだ嫌いだと言いながら、本来の私自身に取っては霧散して消え失せる感情体験でしかないものを、生きることの意味だと信じ込まされて幻想の中でもがいている。私の好きな歌のなかに高田恭子が歌っていたみんな夢の中という歌がある。色恋の歌ではあるが幻想の中で悲喜を味わう人間の姿が映し出されていて名曲だと思う。ぜひYOUTUBEででも聴いてほしい。御父様が私達を前にされるとき、時折沈黙されて私達を見渡される時がある。その時の御父様の目は、これほどに寂しい目を見たことがあるだろうかと思われるほど寂しい目をされて私達を見渡される。幻想というサタン世界の中に彷徨う我々であり、御父様に会ったと言いながら会ったこと自体も幻想の中の出来事であって、御父様に出会うことの本当の意味もわからずやがては夢の記憶に過ぎない事柄として消え失せてしまう。この集まりの中の何人が、幾つの魂が本当の御父様との出会いを求めて残っていくだろうかという想いが、御父様の中にある。御父様に出会えたと無邪気に喜ぶ私達を御覧になられて、尚更寂しく悲しく思われる御父様であることを私達は忘れてはならないし、何が何でも御父様の袂を掴んで腕がちぎれようとも離さないと決意と覚悟を差し出すことだ。御父様への想いの強さが幻想世界を蹴破って御父様との本質の出会いを為し、故郷である本質の世界へ御父母様に連れられて入っていく。