2011年7月26日火曜日

今日の想い 346

訓読会の締めとして必ず何人かに歌を歌わせられ、御自分でもお母様の手を引かれて歌を披露される。そのように御父様にとって歌はなくてはならないものであり、勿論私達に於いても歌は必要不可欠なものだ。歌われる様子を見ればわかるように、決して人に聞かせよう聞いてもらおうとして歌われるのではなく、その歌に御自身が入っていかれる。歌の中に感情を泳がせ、歌のリズムに酔って入り込まれるようだ。御父様が歌われるときは天地が呼応している。霊界に対して鈍い我々は、この世の歌や私の中に常日頃耳に響くものに対するのと同じような態度で、何気なく耳にしているけれど、御父様が語られるみ言葉が天の言葉であるように、御父様が表現されるものを通して天の何かを感じ取ろうとすべきだろう。この世的なものを超えた天の心情や意志を、歌として表わされようとされる御父様に接するなら、私はその心情波動を受け取れる共鳴体となりたい。感情が揺さぶられるほどの私の魂となりたいと思う。誰かに歌わせられるときは合の手を入れられたり、座っている食口を見回されながら気合を入れるような素振りも見せられ、私達を何とか高めようとされておられる。どこかシャイで冷めた日本食口は大人しく、せいぜい手拍子を軽く入れるに留まってしまうが、御父様が歌のリズムに酔われるなら、私達も酔うほどに御父様に合わせるべきだろう。御父様を越えて騒ぎ立てろとは言わないまでも、御父様が身体を揺らせば合わせて揺らし、もっとその場を盛り上げてもいい様に思う。私達は楽しいときや嬉しいとき、つい口に出る歌もあるけれど、苦しいときや悲しいときに脳裏に繰り返し繰り返し流れるフレーズもある。ふと思い出されたり耳に入ってきたり、様々な形で歌が届けられて思わず鬱積したものが涙となって流れ出すという経験は誰にでもあるだろう。身体が心拍や呼吸でリズムや振動を為して生命活動をしているように、魂の活動もリズムや振動があるはずだ。だから歌のリズムやメロディーに共鳴して感動できる。それは人によって様々だけれども、もし御父様の心情のリズムや振動の在り様と同じ波動に合わせることができれば、私は御父様の高みまで一気に上昇できる。

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