2011年7月31日日曜日

霊的感性

人間は感覚世界に住んでいるけれども、もし耳もなく目もなければ感覚世界は沈黙と闇の世界に等しい。だからと言って感覚世界が沈黙と闇の世界だとは言えない。霊界についても同じことが言えるのであって、霊的感性が備わっていない理由で霊界がないと断定するのは正しくない。霊界は確実に存在している。実は人間として魂の活動、思考感情意志(知情意)の活動を為している以上、霊界へ触手を伸ばしながら地上生活を生きている。ただ霊界を認識する程には触手が完成していない、霊界認識の霊的感覚器官が未完成にあると言える。霊界は地上世界以上の現実感を備えた多次元に亘る世界だけれども、五感への依存が強すぎる現代人に於いては、より繊細でもありより鮮明でもある霊的色彩感覚を知覚することはできない。ではその霊的感性を備えるにはどうしたらいいのかと問う場合、先ず誤解として生じることは肉的五感で感じる世界と同じような別の世界がもう一つあり、それが霊界だと思っていることに拠る。どうしても霊的感性を五感と同じような別の感性だと思ってしまうから外的な方法で備えようとする。霊界は内的世界だ。内的方法に拠らなければ霊的感性は備えられない。内的という言い方が理解できないなら、宗教的という言い方に変えてもいいかも知れない。宗教的なものへの関与の方が私にとっては重要で、地上的物質的な関与は私にとっては影のようなものだと言えるほど帰依していれば、それは霊的感性を育む土壌が十分出来ていると言える。地上的なものにどっぷり浸かり、食物の享受のような地上愛(そういう言い方が許されるなら、、)を受けはしても、物質的対象によって生じる愛は霊的なものに導かないし、対象がより精神的なものであるときにも満たされる愛、深い内的体験に留まる愛が霊的感性を育み、霊性を備えた人間を創り出す。

2 件のコメント:

yong さんのコメント...

はじめまして、こんにちは。
時々お邪魔しています。
私の夫も腎臓移植をしました。
お陰さまで今はとても元気に過ごしています。

霊的感性についてですが、私は肉体のあるうちに目いっぱい五感を敏感にすることが、霊的感性をも敏感にすると思っています。
だからこそ、肉体が必要であり、それが生きるということだと思い、日々見るもの、食べるもの、聞くもの、触れるもの・・・などに神経を使うようにしています。

hanamizuki さんのコメント...

その通りだと思います。言葉が足りないか使い方が下手なのだと思いますが、外界に向かいあう時は五感の先に霊的感性があり、内界に向かう時は先ず地上的な感覚を鎮め、その深みから感じ取る感性だと思っています。感想ありがとうございます。