2011年7月19日火曜日
今日の想い 342
風の強い夜は当時の私の子供心にも心配で、なかなか寝付けなかった。雨戸ががたがたと音を立て、家全体がぎしぎし軋んだ。私が学校に通い始めた頃までは周りの家も藁葺き屋根の造りではあったけれど、私の家はどこの家と比べても小さくて見劣りがしたし、納屋のような貧相な家は大雪に見舞われたり強風でも吹けば確実に崩れると思っていた。裏手に僅かの松林があるのみで、周りにこれといって遮るものもなかったから強風が吹けばその影響をもろに受ける。今でも今日のように風が吹く夜には家が軋む音が思い出され、その時の不安感情が蘇るが、子供であった当時の私の魂も消え入りそうなほどで、吹き飛びそうな家と同じように風前の灯と言ってよかった。自然の厳しさをもろに受け取りながら、恐れて萎縮し伸びることを押さえ込まれた魂の力もあるけれど、逆にそういう環境が育てた、宗教的畏敬の想いで対する魂の力を伸ばしてこれたというのも事実だ。この子供時代の環境がなかったら、内的霊的には狭き門であるはずの成約の信仰を備えることは先ずなかっただろう。この世に産まれ出でたことが苦痛以外のなにものでもなかった。その当時の夏の田舎で思い出すのは、厠(かわや)の蛆(うじ)の蠢(うごめ)く様であり、鍬が振り下ろされて潰された太いミミズののたうつ様であり、すすけた垂木に巻きつきながらゆっくり這いずる黒い蛇であり、そしておもむろに天を仰げば、青黒い空に赤黒い太陽が鈍い光を放っている夏の重々しさだ。地上に生まれ出でたこと自体を恨めしく思い、妖怪の類たちの中に放たれた怯える子供そのもので、恐れおののいて生きる定めを疑わなかった。不気味な風の音やあばら家の軋む音も、生臭いミミズも鼻を突き嘔吐を誘う草いきれも、全てにおののきながらこの場所で一生を生きるのだと信じて疑わなかった。今夜のこの風の音に誘われて、当時の感情そのままを今の私の内面に映し出して比べながら、今の私の魂がどれほど明るく開放されているかを思わずにはおれない。その天地の違いとも言える私の魂の在り様に、当時の私は驚きの表情を見せて言葉も出ない。
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