2011年7月24日日曜日

今日の想い 345

ここのところ猛暑続きで、どこに行っても日本の節電モードを笑うかのように冷房をガンガンにかけている。しかし外気が華氏百度を優に超えてしまえば、どれ程室内を密封してもこの暑さに負い付くことは無理だろう。寒さに弱い妻だがこの暑さにもついて行けず、要するに変温動物のように外気温の影響を直接受けやすいから寒さにも弱いけれども暑さにも弱いと言うことのようだ。保湿ができない乾燥肌の下には断熱材も入っていないようで、外気の異常が内臓諸器官にまともに来る。朝は取り敢えず起床するが、家事に少し手を付けては又横になり、横になっては又起きるというようなことを何度も繰り返して一日を終える。逆に四十代前半の体調の優れなかった当時の私と比べて、見違えたように元気になった私は何とか妻が健康を取り戻せるように、私の路程を踏まえて彼女の魂の在り様を変えられないものかと思うのだが、人間そう簡単に変われるものではないらしい。生まれ変わって、更に生まれ変わってこそ変われるのかも知れない。生活に支障が出ない程度の小康状態が腎臓移植した時から四年近く続いているが、ここ半年で検査の数値もかなり悪化してきている。この先、透析に入る頃の極度の疲労感やそれにも関わらず不眠症が襲う、あの苦しみに喘ぐ妻をまた見なければならないのだろうかと思うと、地獄への階段を一歩、また一歩と降りているようで、何とも不気味な気分に襲われたりする。妻に対して敢えてそんな話など出来るわけでもないし、先々をあまり見ようとしない、盲目的楽観に留まるしかない今だけれども、今日有る命に感謝し、今を精一杯生きることをお互いの間の共通の魂の在り様として納得している。しかし最初の時は健康体で生きることに何処までも執着していたし、健康を奪われる絶望感に落ち込んでいた。その意味では新たな試練の大波が襲ってきても、魂は前回とは違うステージに立っている。この2011年の夏の猛暑を二人で過しながら、一人は汗だくの熱帯雨林状態でフーフー言い、一人は乾燥した熱帯砂漠状態でハーハー言いながら、一緒に居ながらも別状態を生きている。それぞれの蕩減的なものとは別に、天地が公認した夫婦の責任使命としての相対的別状態なのかも知れないと、そんな事を想起できるのもこの暑さのお陰だろう。地球温暖化という言葉は御父様も使われている。御父様が口にされる言葉であるならその言葉通り地球は温暖化していると断定される。この温暖化の意味することを、肉体の意味に於いて、個人の内的霊的な意味に於いて、更に摂理的意味に於いて、勿論地球の変動に関しても問うてみることは非常に興味が持てる。ひょっとしたら夫婦として内的霊的に、地球の砂漠化を解決する道筋を切り開いているのかも知れないと思ったら、この妻の病をしてお役に立てているということが言える。

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