2011年7月17日日曜日

今日の想い 340

神様は縦的父母であり御父母様は横的父母である。親子関係は縦的関係であり夫婦関係は横的関係だ。男性は縦的性であり女性は横的性だ。副詞は存在名詞にかかることで存在名詞に輪郭を与え、存在の特徴を際立たせる。縦的横的と使われるみ言葉を拾い上げて、それらのどの存在名詞にも当て嵌まる意味として浮かび上がってくるのが、縦的とは時間軸に於いてという輪郭であり、横的とは空間軸に於いてという輪郭を宛がうことでしっくりくる。全ての言葉は相対関係にある言葉と対でこそ理解することができる。父という言葉の理解は母と言う言葉をして理解できるしその逆も言える。全ての存在は相対関係をもって存在するのであって、よってその言葉の意味を問う場合も対になる言葉をもって理解することができる。さて、人それぞれの死生観を問うとき、男性はより縦的、即ち時間軸において死生観を把握しようとし、女性はより横的、即ち空間軸において死生観を把握しようとする。男性は死に向き合っているし、女性は生に向き合っている。男性は未来を見つめる今があり、女性は経験を積み重ねた今だ。男性は未来への見通しが開けなければ動けないのに対し、女性は過去の経験が今あれば動ける。男性は時間軸に刻まれる(残される)ものを愛し、女性は空間に残される(刻まれる)ものを愛する。男性は常に死を意識していて死への現実感が強いのに対し、女性は常に生を意識していて死への現実感は薄い。男性は記憶を消去して未来の為に思考を使い、女性は思考にまわすべき脳細胞も記憶媒体に使ってしまう。それらの対比をしながら距離を置くのではなく、より知って補い合うことで新たな本質的なものに根ざす何かが誕生する。男性と女性が合わされば子供が生まれるだけだと言うのは、内的霊的な創造、内的霊的な誕生があることを知らないか必要としていない。縦横の本質、陽陰の本質を掴みながら新たな思考、新たな発想が産まれ育まれていく。御父様のみ言葉は今までかつて地上に降ろせなかった天にあるロゴスを、地上的言葉で私達に示されている。天の秘密の地上化がみ言葉であり、そこに御母様の存在が関与されなかったら成されることはなかった。時間軸に生きて働かれる神様を空間に御父母様を戴くことで現されながら、御父様は御母様との関係のなかで我々に示されるみ言葉であって、み言葉の本質には御父母様という陽陰一体が見えて輝いている。

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