2011年7月27日水曜日

今日の想い 347

私も広島の出身であり妻も広島の出身だ。マッチングの時はそれを偶然の出来事のように捉え、さしてその意味を問うことは長い間しなかった。でも起こる事柄は全てに於いて必然であり偶然などないという立場に立つなら、これも何か意味があるはずだと思うようになった。妻は別の場所で復帰されたから当時の広島教会も知らないし、広島で教会生活をしたわけでもない。しかし私は何度かここに書いたように、下宿しながら広島の高校に在学している時に友達から紹介されたのがきっかけで通うようになった。献身生活を始めたのも勿論広島教会だ。当時の教会は原爆ドームからほんの二、三十メートル東へ歩いたところにある、元病院の木造二階建てを借り受けて教会にし、兄弟みんなそこで寝泊りしていた。実は島病院というこの病院が爆心地で、その真上四百メートル上空で原子爆弾は爆発した。ようするに炸裂光が第二の太陽光のように輝いたその真下で、当時のそれを下から眺めるような姿勢で横になって所狭しと寝起きしていたことになる。時間軸を外せば、第二の太陽が人も万物も大気も全て焼き尽くし、その廃墟の中心にみ言葉を戴く教会が立つという構図になる。今話せば面白いネタになる霊的現象には事欠かなかったし(それに関しては随分前の記事で)、その意味を問うことも伝道に大いに役立ったと思うが、敢えて爆心地に教会が位置していた必然の意味を問うことは誰もしなかった。広島を一瞬で地獄絵図に変えてしまった瞬間大量殺戮並びに大量拷問は、恨みや悲痛さえ感情の表に出せないほど凄惨を極めたが、他の惨事がそうであるようにこれもそうならざるを得なかった霊的事情が備わってのことだと言うことはわかっている。しかしそれは原理で説明されて論理として理解できるのであって、それを感情が納得するには時間が掛かる。私の中に広島を抱えている以上その感情に責任がある。広島が世界のヒロシマであることは日本を出ればよくわかる。アメリカで自分の出身がヒロシマだと言えば殆どの人は饒舌だった言葉を失って暫くたじろぐ。前はそれが嫌で日本の西側とだけ説明していたが、敢えて避けずにはっきりヒロシマと言うべきだろう。屍を積み上げその上に私が存在し立っているからだ。ヒロシマの犠牲ゆえに私が存在している。御父様の心情や事情に少しでも通じた者であればその時の恨みを開放してくれるはずだという期待感が、犠牲にあった人達の霊の想いだ。爆心地に教会を持ってこさせたのも少なからず霊の想いが関わっている。勿論その想いに引き摺られ沈むのではなく、私がより御父母様に繋がり因縁を築こうとすることで霊の想いも引き上げられ、結果として恨みを開放することになるし、彼らもそれを切に望んでいるはずだ。しかし更なる霊的事実としては公的犠牲になった霊達の殆どはその時の恨みはあるとしても、犠牲を供えた明るさで光り輝いている。広島と同じように長崎も犠牲の地になったけれども、天主教を奉ずる彼らが犠牲が恨みとして残るなら、イエス様がもたらした愛自体を空しいものとしなければならなくなる。霊的愛の勝利の光に彼らは照らされている。今年も8月6日がやってくる。あの悲惨な印象は街からも人からも年を経るごとに薄れていくけれど、それに変わる犠牲を供えた愛の光となって、街に人に輝き入る。

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