2011年7月28日木曜日

今日の想い 348

日本の食口は精誠を捧げ、周りから見れば無理難題を押し通してきた。そしてその結果としてのシワ寄せをいろんな形で見ている訳だけれど、勿論ああすべきだったこうすべきだったと、過去を検証して意見を述べることも出来るが、しかしそれはどうしても批判に陥りやすい。過去は背にしているのであって、留まることを許されず今でも前に進まなければならない状況で、特に責任ある立場では立ち止まって考える余裕等ないはずだ。御父様に指示を戴いた天のみ旨だと意識すれば意識するほど、こけることは出来ないし立ち止まれないという使命感と切迫感で一杯一杯に違いない。今、日本が摂理に対してどれ程の緊張状態にあるのか定かではないが、或いはひょっとして緊張が続きすぎた為に緊張の糸は伸び切ってしまっているのかも知れない。過去に積み上げたもので今を凌いでも、今日に種を撒かない日が続くなら明日を見ない日が確実にやってくる。種を撒ける状態に無いという悲観が暗雲の中から出れないように私達を包んでいるなら、それこそがサタン圏から脱しきれない意識状態だと言えるだろう。とにかく何かやっていれば条件となり何とかなるだろうと言うような、思慮のない幻想的楽観ではなくて、明快な輪郭を持ったビジョンが見出せる自信を踏まえて、種を撒く土壌を準備しなければならない。種を撒くまでの土壌作りが、形の無いものを形に仕上げていく創造過程の基としての内的霊的創造だと言える。種を撒いてからが昼の神様の仕事なら、種を撒くまでの一切は夜の神様の仕事だろう。私の中の夜の神様を動員してこそ悲観を超えた創造、新しい形へと動いていく。日本がどう立ち上がるかは、統一の群れが神様と共にあり、本物かどうかを大きく証しする試金石に違いない。今まで私達の霊は御父母様という胎の中でまどろんでいた。しかしいつまでもまどろみ続け加護の中に留まり続けるわけには行かない。子供が思春期を越えて自我を自覚するように、統一の群れが第二の御父様となるべく大洋に漕ぎ出している。

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