2011年7月14日木曜日

今日の想い 338

雨が降って山に染み込み、染み込んだ水は地下水になったり湧き水となって池やダムに蓄えられ、蓄えられた水が河川の源流となって山間(やまあい)の旅を始める。或る時は濁りそして或るときは澄みながら、急流を下ったり淀みに暫く留まりながら、やがてはとうとうと流れる大河となって流れていく。水の一生は人の一生の如くであり、御父様が霊界を説明されるのに地上界を淡水、霊界を海水とたとえられるように、空気呼吸という淡水の生から、愛による呼吸という海水の生、霊界生活へと移っていく。地上での塩は霊的なものを吸い込んで霊的なものを排除させる働きがある。海水は全ての霊的なもの、それが善霊であれ悪霊であれ選り好みせず如何なる霊も取り込み、そして霊の浄化を為していく。濁った水も澄んだ水も、海は全ての水を取り込んで浄化していく。濃い愛情の中でこそ内的生活は深まるように、霊界の愛の度合いの深いところが高気圧であり、より天国に近いところと言える。地上の標高の高い山のような空気の極めて薄いところがあるように、愛の密度が薄い地に近いところもある。山に登れば呼吸は苦しいのであり、それでも敢えて登りたいと思う登山家は、愛の呼吸の素晴らしさを無意識に覚えていて、霊界への憧れを備えているから山に登る。堕落人間が、より天国に近い霊界に住むことを拒んで愛の密度が薄い霊界に留まろうとするのは、より地上的呼吸が可能なところを選ぶからだ。彼らは愛の呼吸器官を、霊界生活を楽しむほどには準備しては来なかった。河川から大海に流れていく汽水域は、地上界と霊界の橋渡しの地域と言えるだろうし、魚たちはこの汽水域で海水に慣れて大海に泳ぎ出るように、人は四十九日を準備して霊界に旅立っていく。地上で培った愛を呼吸する霊的器官を備えて、霊界に旅立っていくこの準備期間がどれだけ大切な期間であるかは、私達のよく知るところだ。ソロモンアイランドに釣りに出掛け、直ぐその先には青黒い海水が見えるぎりぎりまで船を漕ぎ出していったが、汽水域は正しく地上的表現としての霊界への門に違いない。

0 件のコメント: