2011年7月25日月曜日

妻の誕生日

夕方には椅子に腰掛けたまま寝入っていたのでベッドに行って休むように言ったが、暫くしてまた起きてきて小腹が空いたのかバナナを剥きはじめた。病を患ってからはずっと少食で、一本は無理だろうと思って無理して全部食べないように告げたが、それには返答をせずに嬉しそうに食べている。妻はバナナが大好きだ。手術後しばらくして、胃腸が相当弱っていたようで食べたバナナを受け付けず、胃の内容物を全てもどしてもまだもどし続けるので、救急に運び込んだことがあった。それ以来懲りたのか何年も口にすることはなかったけれども、半年ぐらい前からまた手にするようになった。パソコンのキーを叩く私のそばで、椅子にもたれかかる様にして食べている。先ほど買い物から帰ってきた娘がいつものように私をダシにして冗談を叩くと、口にバナナをほうばったまま笑っていた。娘は誰に似たのかひょうきんな奴で、娘が居る間はいつも笑いが絶えない。笑っている間は妻も私も病気のことは忘れている。娘が出掛けている間、内緒でメールを送って何かプレゼントを買ってくるように伝えておいた。今日は妻の誕生日だ。娘が買ってきた紙袋を造作もなく妻に差し出すと、覚えてくれていた安堵を覗かせながら、食べくさしのバナナを捨て置いて子供にかえったように包みを解き始めた。娘が何を買ってくるのか興味津々だったけれど、化粧品という以外なものだった。何かひとひねりしたふざけ半分の代物かと思ったからだ。娘として母親に渡すものとなると結構真面目に考えるものらしく、品物を大事そうに手に取りながら妻は本当に嬉しそうだった。化粧品など使う機会は殆どないから、先ず夫の私の選択肢の中には気付いて入れることもないと思うが、娘はやっぱり女性なのだろう。母親の女性として喜ぶものを選んできた。しかし言っておくけど父親である私の時にはアンパンを一つよこしただけだ。けれどもそれはそれでそのウイットが娘一流の私へのプレゼントだということは良くわかっている。病を抱えて迎える誕生日は、娘は娘として、私は夫として、そして本人としても決して単純な嬉しさで迎える訳ではない。整理されない想いも抱えて迎える誕生日だ。でもそれはそれで、今日という特別な日を輝かせている。この日を誰も忘れることは無い。夫として、出来ることであればこの生命の半分を妻に渡したい。そうして一緒に生きて一緒に死ねれば、これほどの夫婦としての喜びはないだろう。そんなことを思いながら、妻が残した食べくさしのバナナを口にほうばった。

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