2011年7月10日日曜日
息子の門出
まだ日は十分高い。いつものように95号線を南下し始めると、見通しのいい湿地帯を走る橋梁からマンハッタンが見渡せる。直線道路を確認しながらも、マンハッタンの高層ビル群が見渡せる左側に、何度も何度も視線をやる。あの高層ビルの底に息子を置いてきた。南下するにつれて、高層ビルが林立するマンハッタン島は次第に遠ざかっていく。ハンドルを握っていて後ろを振り向くことはできないし、バックミラーも視野が狭くて役に立たない。息子の不安と期待が入り混じった表情もどんどん遠ざかっていく。これでいいのだろうかと、もはや親として自分に問うことは許されない。良いも悪いも来るべき時が来たんだと感情を括るしかない。昨日、引越し荷物を積み込んでアパートを出たのが十二時近くだった。途中まではスムーズに走っていたが、次第に雨雲が濃くなってきて降り始め、そのうち止むだろうと週末の込み合うサービスエリアで昼食を終えたが、雨が止む気配は全くなく、再び北上し始めたが直ぐにも前が詰まってきた。結構な期間のろのろ運転を迫られ、リンカーントンネルを潜って着いたときは夕方六時を回っていた。止まぬ雨の中、取り敢えず車に詰め込んだ荷物をアパートの二階の部屋に運び込んで一息ついた。借りた部屋は窓はあっても向かいのビルの壁しか見えず、どこを見るでもなく狭い部屋の中を誰もが見渡しながら、敢えて口を開くものはいない。息子の新しい出発だし最後だからと思って妻も娘も付いてきたが、黙っていたらどうしようもない。そのうち息子も娘もそれぞれの友達のところへ行くと言って出てしまって、当事者がいない部屋は妻と二人だけになってしまった。こうなるなら狭い車中に家族で六時間も閉じ込められたことの方が良かったことになる。今までもいつも外に出払っていて家にいることのほうが少なかったが、暫く会えないこの状況でも息子は軽い気持ちで出て行ってしまう。日本的に言うなら、赤飯でも食べながら家族が揃って泣き笑いのひと時を過ごすところだろうけれど、絵に描いたようにはならないらしい。新しく買い揃えた主人のいないベッドに、縮こまるようにして妻とふたりで休んだ。明け方、昨晩随分遅くに帰ってきた息子にしばしの別れを告げたが、クールな家族もさすがにこの場ではお互いの幸先を口にしながら顔を見合わせた。おそらく永遠の別れの時も、こんな簡単でドライなことになるんだろうなと思ったが、これが我が家の家族の在り様でそれはそれでいいのかも知れない。リンカーントンネルを潜って対岸に出ると高台に車を止め、ハドソン川の向こうのビル郡を見渡し息子のアパートの位置を目算した。暫く眺めながら、何か伝え忘れ、何か準備し忘れたようで落ち着かなかったが、それは寂しさによるものだと言うことはわかっていた。それでも南下するハイウェイに乗ってからも引き摺っていて、アクセルを踏む度に心が少しずつ欠けていくようだった。荷物もなくなり席も空いた後部座席の隅で、体が弱く疲れて眠っている妻は、寄りかかるものもなく倒れそうにしている。その様子をバックミラーの中に見ながら、新しい出発をすべきは私の方なのだと、気持ちを立て直すように気合を入れて座りなおし、ハンドルを持つ手に力を入れた。
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